cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんか

ボストン留学帰りの精神科医。自転車好き。

3年間アメリカで生活していた時の英語勉強法

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3年間アメリカに留学して住んでいましたが、渡米当初は英語はからっきしでした。もう、買い物もおぼつかないレベル。それでもその後の3年間でなんとか英語を進歩させることができ、途中からは日本からの奨学金ではなく現地で研究者としてお給料を受けることができました。

僕は初めは日本の教授からの紹介で研究室に配属されたのでTOEICTOEFLは受けていません。なので、点数で自分の英語の実力を示すことが出来ないのですが、3年間で英語でのlabo meetingはちゃんと資料を整理しておけば問題なくこなせる、ニュース等はほぼ完璧に聞き取れる、会話は1対1ならかなり流暢に喋れる、レストラン等では困ることはない。という程度にはなりました。

逆に、ドラマとか映画はまだ良くわからないところがあり、会話は数人でのチャットはきついと感じることは最後までありました。あと方言とか訛りがきつかったですね、意外にアメリカも地方によって訛りがあるんですよね。

BostonでのEnglish Learning - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかで書いたように、ボストンではフルタイムワーカーやフルタイムスチューデントのために英語学習リソースが少なく、自習をかなりやらなければなりませんでした。結論としては結局自習こそが一番大事だと思ったのですが、すごく苦労をして、いろいろ考えながら英語を勉強したのでそれについて記録しておきたいと思います。

 

英語学習で強調したいのは

1. 英会話はスポーツと捉える

2. one methodだけでは完成しない

3. 得手不得手があることを理解する

ということです。

 

僕のオススメする勉強法は結局はかなりの努力量を要します。僕は英会話はスポーツと同じで才能と努力が必要なものだと考えています。なので、だれでもすぐに英会話が上達するようなイージーな勉強法を求めている方はこのエントリを読んでも得られるものは少ないかもしれません。

 

日本で受けた英会話教室は意味が無かった

渡米前にマンツーマン形式の英会話教室に1クール通いました。結論から言うとこれはまったく意味がありませんでした。 本当の初心者が「英語に慣れる」という意味で通うことには意味があるかもしれません。また、英語の中上級者が「足りないところを補う」という意味で通うのも意味があるかもしれません。しかし、初中級者がただなんとなく英会話教室に行って、英語話者と1時間話して帰るだけでは英語や英会話はほとんど進歩しません。しかし、後に述べるようにネイティヴスピーカーと話す教室は英語を全体的に改善するのに必須の要素です。「通っている」ということに満足してしまわず、使い方を考えましょう。

 

受験英語学力は明らかに重要

受験英語は英会話には役に立たない。日本人は文法や難しい単語は知っているが会話はできない。他の国の人たちは文法なんか習わなくても英語をしゃべれるようになっている。だから、受験英語をやらなくたってしゃべれるようになる。」これらはずっと指摘されていることです。しかし、僕はこれは大きな間違いだと思っています。日本以外の国の方たちが日本人ほど文法を勉強せずに英語を話せるようになっているのは事実だと思います。しかし、日本人はやはり文法を含めた受験英語的勉強をきちんとやらないと英語を話せるようにはならないと思います。

その理由は英語と日本語の言語的距離の遠さです。こちらで紹介されている英語話者に対する言語習得難易度はよく取り上げられます。これによると英語話者が日本語を学ぶのもとても大変なことで、おそらくその逆も真なのだと思います。ヨーロッパ言語などと英語は基礎となる文法の法則などで日本語と英語より共有するものが多いため、英語話者はヨーロッパ言語の方が学びやすく、その逆も真でしょう。ヨーロッパ言語等の話者は英語話者を話すときには母語で培われた脳の能力をある程度自然に利用できるのに対して、日本人はほとんど日本語で発達した脳の能力を利用できないのではないでしょうか。ですから、日本人は文法等から学んで、英語を「頭で」理解する勉強法も必要になると思います。

英語の勉強じゃなくて「コミュニケーション」の勉強も必要

とはいえ、やはり「英会話」は受験英語とは異なるものです。「英会話」は受験英語よりも瞬発力が必要で、臨機応変さが必要で、生きた相手がいる、という違いがあります。しかし、これはなぜそのように受験英語と異なるのでしょうか?それは英会話がコミュニケーションのためにあるからだと思います。

そもそも、皆さんが英会話を学びたいと思ったのはなぜなのでしょうか?英語話者と話したい、コミュニケーションをとりたい(とらなければならない)と思ったからではないでしょうか。これを達成するのであれば、極端ですが、英語話者に十分理解してもらえるくらいジェスチャーがうまくなれば英会話を上達させる必要すらないかもしれません。逆に、どんなに文法を詰め込んで、たくさんの英単語を暗記してもコミュニケーションのツールとして使用できなければなんの意味もありません。受験英語で培った文法力や語彙力を基礎としてコミュニケーションツールとしての英会話を学んでいきましょう。

 

テンポのためなら単純化、陳腐化も必要と理解する

英会話はコミュニケーションツールということを強く意識すべきという話をしました。コミュニケーションには会話の内容のみではなく、テンポや量のコントロールも必要になってきます。日本語であれば皆さんは「『今の総理大臣をどう思いますか』という質問にできるだけ多くの返事を考えてください」という問いに、すばやくたくさんに返事が思いつくでしょう。しかし、英語ではどうでしょうか?たくさん思いつく人でも日本語と同じくらいすばやく思いつくということはないはずです。では、実際に『今の総理大臣をどう思いますか』ということを会話の中で聞かれたとします。皆さんはどう答えるでしょうか?

日本語では好き嫌いから政治判断への賛成反対までさまざまな内容の話題を即座に返答できると思います。しかし、これが英語で聞かれたとなると、英会話中級者まででは返事の内容をいろいろ考えてしまってちょっと詰まってから返事をすることになってしまいテンポを崩すことになってしまいます。それであれば、一言目の返事の内容は「I like him」などの非常に単純化してしまったものとし、表情やその後の話のつなげ方で情報を増やすようにしたほうが良いかもしれません。そうすればテンポを崩すことなく、会話自体の内容としては乏しいものとなってもコミュニケーションとしては豊かなものが行える可能性があります。

 

英会話はスポーツと捉える

さあ、このコミュニケーションツールとしての英会話とはどのようなものなのでしょうか。ここでは英会話はスポーツだと捉えてください。英会話は会話相手という対戦相手がいるスポーツなのです!英会話を勉強と捉えてしまうと、どうしても受験勉強的なものとして捉えてしまったり、逆にライフハック的な方法に頼ったりしてしまうことになりがちです。ここで相手のあるスポーツとして捉えるとうまくいくのだと思います。

例えば、スポーツの例としてサッカーで考えてみましょう。サッカーをするのに戦術本や技術本を何冊も読んで暗記することから始める人はいないでしょう。また、サッカーがうまくなるには、単に自分の技術を向上させることだけではなくてフェイントや戦術で相手を欺くことも考えるでしょう。さらには技術を磨くに当たっては試合で使えない技術を磨いてもしょうがないので、試合に必要な技術が何かと考えるでしょうし、練習等の目的は最終的には試合に勝つことだということも考えるべきでしょう。

英会話も同じです。英語がうまくなるには、本に頼って勉強するだけではなく、スピー○ラーニ○グのようなone methodに頼るだけではなく、発音だけを上達させるだけではないのです。英会話は、会話において相手をどうコントロールするかということも含めた複雑なものであり、英会話には英語話者とコミュニケーションを成立させるという目的があることを理解して勉強すべきだと思います。また、英会話を相手のあるスポーツと捉えると英語話者との会話はスポーツにおける「試合」のようなものだと思います。「試合」ではどんなにきれいなフォームでボールを蹴っても、どんなに決まった型を出しても、「勝たないと意味がありません」。英会話で勝つ、とはコミュニケーションが成立するということです。どんな形でも良いから「試合に勝つ」=「コミュニケーションを成立させる」ということを目標にすべきです。

 

one methodでは完成しない

サッカーがうまくなるには一生リフティングだけやっていればいいとか試合だけやっていればいいと主張する指導者はいないはずです。サッカーをうまくなるには初級者用の技術本を買ってよんだりスクールに入ったりして、初歩的な練習から始めて幾つかの練習法を組み合わせて試してみると思います。英会話も同じだと考えてください。

英会話は相手のいる複合的なスポーツであり、「リフティングだけやればよい」というようなone method的練習は、必要ではありますがそれのみでは最終的には絶対に向上しません。受験英語という座学を基礎にして複合的な練習を繰り返して向上していくものだと考えてください。

 

自分で勉強しないとダメ

良く、「留学をすれば英語が喋れるようになる」と安易に考えている方がいます。これは絶対に嘘です。上のスポーツの例で言えば、まわりにいくらサッカーの上手い人がいても自分のサッカー技術があがるわけではありません。そのうまい人達と切磋琢磨し、自分で工夫・努力して技術は上がっていきます。英語力もおんなじです。留学は周囲に英語話者しかいない状態になるので、英語を勉強するもってこいの環境です。しかし、それはその場にいれば英語がうまくなるという意味ではありません。留学は英語を学ぶ最高の機会を与えてくれ、英語ができないと不便な生活となるので自然と努力をするようになりますが、勝手に英語を上達させてはくれません。留学をして、その上で自分の英語力を高める努力をしてください。

 

普段の会話は「練習試合」

みなさんが「英語を勉強したい」と思う理由はなんでしょうか?外人の彼女がほしい?プログラマーとして大成したい?海外で仕事がしたい?いろいろな理由があると思います。それぞれの理由において「英語で女性を口説く」「英語でディスカッションする」「英語で就職の面接をする」などというとても大切な状況が想定できます。この場面での英語でのコミュニケーションの成立・成功があなたの英語の勉強をする当面の目標です。この状況を「大きな大会の決勝戦」と捉えましょう。それまでの英語での会話は「決勝戦までの練習試合」です。多くのスポーツチームは目標とする大きな大会の前に、小さな大会に参加したり、練習試合を組んだりします。これはなぜでしょうか?これは大きな試合に望む前に、弱点や問題点を洗い出したり、自分たちの力を客観視したりするためです。英会話でも同じように捉えましょう。日々の親しい友人等との英語での会話は大事な練習試合です。うまく行ったこと、行かなかったことを洗い出して、反省するようにしましょう。

 

弱点を把握して「メソッド」を組み合わせる

さて、弱点が洗い出されたら、それを克服する練習が必要です。自分で必要だと思った分野について以下のような英語勉強メソッドを使って勉強しましょう。メソッドは特別なものである必要はありません。

リスニング:ニュースや映画などを聞く。実は僕はあまりやりませんでした。聞くだけでは英語力の強化に結びつかないと思ったからです。でも、多くの英語勉強メソッドでは取り入れられています。リスニング力に直結すると思われますが、力にするにはかなり集中して聞く必要があると思います。僕はむしろ英語に慣れるという効果と、英語で話す話題を知るという効果があると思います。

ディクテーション:リスニング力に直結します。繰り返し勧められている方法ですが、間違いなく力になります。

シャドウイング:リスニング力、スピーキング力に直結します。これも繰り返し勧められている方法ですが、間違いなく力になります。

瞬間英作文:スピーキング力、文法力が身につきます。高い効果があるメソッドだと思います。

リーディング:英語の本をよむことは文法力、語彙力、言い回しを増やすことなどにつながります。また、アメリカ英語では独特の言い回し、イディオムを多用する人がいます。そういった言い回しやイディオムへの対策になります。また、英会話はコミュニケーションなので教養は重要です。僕は会話の中で「ドロシーみたいだね」と突然言われて面食らったことがあります。友人の中にドロシーという方はいなかったのですが、よくよく考えるとオズの魔法使いのドロシーのことを言っているのだと気づきました。教養は重要です。

音読:学校英語で多用されるメソッドですが、きちんと目的を持ってやると効果はかなりあると思います。スピーキング力や文法力、英語のリズムに慣れるという効果があると思います。

暗記:短めの文を暗記して空で言えるようにします。これを地道にやると会話力は確実に上がっていきます。武道の「型」のようなものです。

発音:表情筋の動きから、口の形、舌の動かし方などを勉強し、練習します。唯一、ネイティブの先生の助けが絶対に必要な分野です。最終的にはしゃべれない音は聞き取れません。日本人が苦手な分野ですが、避けては通れません。

非ネイティブとの会話:留学先での学校で生徒同士での会話はよく用いられる方法だと思います。同レベルの英語勉強者同士で話すのは安心感もあり話しやすいと思いますが、僕はおもったより効果が薄いように感じました。お互いになまりが強く、聞き取るのに苦労してあまり進みませんでした。自分より英語力のあるスペイン語圏の人と話すのは効果があると思います、スペイン語圏の人は非常に文法がシンプルで発音も聞き取りやすく、こっちのことを考えてゆっくりしゃべってくれます。

ネイティブとの会話:これは「練習試合」です。これ自体で英会話力が一気にあがるということはありません。ここで苦労して、自分の弱点がどこか洗い出していきましょう。特にたくさんの人数のネイティブとのチャットはあっちからこっちから会話が起こって初めは全くついていけないと思います。恥をかくこともあるかもしれませんが、自分の力量を知ることにつながります。

英会話講師とのマンツーマン授業:意外に効果が薄い方法だと僕は感じました。言われるがままテキストをやっていても効果は薄いと思います。英会話講師とのマンツーマン授業は普段から勉強していて疑問に思ったり、引っかかったことの解決に使うべきだと思います。あるいは、今後の勉強のしかたの指導などを受けるのも良いかもしれません。また、特に発音練習はネイティブ講師の指導がかかせません。

英会話講師とのフリートーク:ネイティブとの会話が「練習試合」とするとこれは毎日の練習での「ミニゲーム」でしょうか。英語で話す話題、リズム、「型」の効果などを確かめながら磨くことが出来ます。たくさん質問をするようにしましょう。疑問文は日本語と大きく語順が違うため日本人が苦手な文です。講師であればキチンと答えてくれるはずですから、ここで練習しておきましょう。

 

これらのメソッドを、自分が足りないと思う分野のものを組み合わせて、毎日勉強しましょう!

以下に、受験英語で一定の英語力がある人が、そこから英会話力を高めるために僕が良いと思う勉強スケジュールを書いておきます。これを半年から一年やれば相当会話力が上がると思います。

平日:NHKラジオのラジオ英会話を利用。全文をディクテーション。すべての単語をディクテーションで拾えたら、全文をシャドウイングシャドウイングで全部ついていけるようになったら全文暗記する。暗記したらところどころの単語を変えてみて(He→youなど)、別のストーリーにしてみる。さらに元の文の発音で自信がないところは発音記号を調べて口の動きを確かめる。これだけやると1時間半くらいはかかると思います。

オンライン英会話で30分-1時間フリートーク

週末:マンツーマン型の英会話学校でネイティブ教師と授業。平日に調べて自信のなかった発音を正しいかどうか確かめてもらってなおしてもらう。また、その発音の練習法を聞いて平日の練習に活かしていく。英語の本を読んだり、映画をみたりもしてみる。

これくらい勉強すると英会話力はかなり上がると思います。また、これをベースに自分の足りないところを強化したスケジュールをいろいろ考えてみてください。

 

最後に、これまではてブで眺めていて、ちゃんと効果がありそうだなーと思ったエントリを上げておきます。皆さん、がんばってください! 

www.outward-matrix.com

lifeiscolourful.hatenablog.com

てんかん患者さんの車の運転について

anond.hatelabo.jp

こちらの記事を読んで、てんかん診療に関わる医師として少し悲しく感じるとともに、てんかん患者さんと車の運転の関係の難しさを再度認識しました。
この記事に対するコメントなどを見ても依然としててんかんと自動車運転については一般の方には状況が浸透していないと感じたこともあり、考えたことがあったので少しまとめてみようと思います。
 
私は医師として、すべてのてんかん患者さんの運転を制限すべきという意見には反対です。「てんかん」と一言にいってもその中には多様な疾患や状態が含まれており、一律にすべての患者さんが運転に対するリスクが高いとは言えないからです。そのため、一定の条件を満たしてリスクが高くないとかんがえられるてんかん患者さんの運転免許取得は可能にすべきと考えます。また、現行の運転免許に関わる法令にはきちんとてんかん患者さんと運転の問題についての条項があり、その内容は適切であると考えています。
 
上記のてんかんというのは多様なものですべてを一律に扱うことは出来ないという私の考えと似たような考えが中心的となったことや、ほとんどのてんかん患者さんでの運転リスクが以前考えられていたより低いことが認識されたこと、また、てんかん患者さんのnormalizationや差別克服という視点により、てんかん患者であることは以前は道路交通法では絶対的欠格事由となっていたのが現在は相対的欠格事由となっています。さらに、以前は「てんかん」と明記されていたのが、現在は“発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気であって政令で定めるもの”と「てんかん」という明記がなくなりました。これはてんかんと同様に発作性に症状をきたす病気が他にもあるからです。(不整脈や糖尿病など)
 
現在の道路交通法では上記のように相対的欠格事由となりました。相対的ということは「てんかん」であるというだけの理由では運転免許取得の欠格理由にならないということです。○○であるというだけの理由で欠格になる場合「絶対的欠格事由」と呼ばれます。現在では認知症は絶対的欠格事由となっており、その診断がされた場合は運転免許の取得・更新はできません。
ということで「てんかん」である患者さんがどのような条件を満たせば運転免許が許可されるのかという条件が「運用基準」で定められています。
 
てんかんに関する運用基準の要旨は以下です。

以下のいずれかの場合には拒否等は行わない

ア 発作が過去 5年以内に起こったことがなく、医師が「今後、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
イ 発作が過去 2年以内に起こったことがなく、医師が「今後、X年程度であれば、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
ウ 医師が、1年間の経過観察の後「発作が意識障害及び運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合
エ 医師が、2年間の経過観察の後「発作が睡眠中に限って起こり、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合

つまりてんかんであっても最低2年は発作がない状態がないと運転免許は習得は不可能ということです。 2年や5年という期間が妥当かという議論はあります(他の先進国では6ヶ月から1年が一般的)が、一定期間発作のない患者さんはその後も発作を起こす可能性が低くなっていると考えられるので、方向性としては妥当なものと思います。

しかし、この法令制定以降にてんかん発作を原因とされる悲惨な事故が複数起こりました。

京都祇園軽ワゴン車暴走事故 - Wikipedia

鹿沼市クレーン車暴走事故 - Wikipedia

これらはどれも上記の法令を順守していない状態で起きた事故だと言われています。つまり、2年間という期間発作が止まっておらず、発作が普段からある人が運転をしていて起こした事故とされています。鹿沼市の事件では運転手は自動車運転過失致死罪で有罪になりました。発作が起こることがある程度以上予想されたのに運転した、注意義務違反が問われたと考えられます。しかし、これらは起こした事故に対して罰則が軽かったこともあり、これに対して国民から大きな批判が起こりました。その中には法令を順守していないてんかん患者が起こした事件ということを理解せずてんかん患者さんの運転全体に対して批判をするものも多くあり、それは誤解に基づくものと考えますが、重大な事故に対してなんらかの法の整備が必要なのは当然です。そのため、道路交通法がさらに変更になりました。

2014年の施行ですが、免許を取得・更新する人全員が病状を尋ねる質問票に回答するよう義務づけられ、虚偽申告の罰則は「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」をかせられるようになりました。つまり、発作があるのに嘘をついて「ない」と申告して運転免許を取得・更新すると罰せられるということです。さらには発作を起こす可能性が高い状態で運転をしたり、上記「法令」に準じない状態で運転をして、死亡・傷害事故を起こした場合危険運転致死傷罪が適応されるようになりました。これは順当な内容であり、これまで上記「法令」を順守下で起きた重大事故がなく、違反者のみが重大事故を起こしているので、「法令」違反者への罰を強めるということです。

 

これまでの道路交通法およびその改正と「法令」の施行で、私はてんかん患者さんの運転免許取得、更新に関しての問題はほぼ対応済みだと考えます。必要にして十分な制限がてんかん患者さんに課せられており、その制限をキチンと順守している患者さんは事故を起こしていません。

Wikipediaでもよくまとまっています。てんかん - Wikipedia 

私が考える問題点

私は上記のように、これまでの道路交通法およびその改正と「法令」の施行で、私はてんかん患者さんの運転免許取得、更新に関しての問題はほぼ対応済みだと考えます。しかし、私もいくつか問題点を感じますし、種々の批判もあるのではと思います。

いくつか考えてみたいと思います。

 

「本当に法令を順守していても起きた事故はないのか」

これは「そう聞いている」としか返答できません。今のところ私が見聞きした範囲内で法令遵守下での重大事故はないようです。あれば、てんかん学会等で大きく通知されると思われます。

 

「リスクは高くないとは言え、てんかん患者の事故リスクがわずかでも健常人より高ければそれは規制すべきではないか」

これは

医療QQ - てんかん患者運転に理解を 事故率「若年男性の3分の1以下」(EU報告) - 医療記事 - 熊本日日新聞社

【池袋暴走事故】てんかん患者の交通事故リスクは本当に高いのか? 最新研究は驚きの結果を示す - エキサイトニュース

などを見ていただければ理解いただけないでしょうか。

年齢やこれまでの違反歴など、てんかん以上に事故リスクを上げる要因はいくつもあり、それらのほとんどが欠格事由とはなっていません。これを考えるとてんかんのみを欠格事由とするのは不適当です

 

「2年間発作がないってどうやって確認するの?」

これはいつも僕が悩んでいるところです。発作が人の前でしか起こらないわけではないですから、隠すことは可能です。現在は一般の外来診療で行える発作の有無の把握は患者さんの自己申告によるものにならざるをえません。つまり、患者さんの言うことがどれだけ信頼できるか、ということです。

きちんと予約通りに外来に来ていて、信頼できる報告を毎回してくれる患者さんの申告は信用して「2年間発作がない」という診断書は書けるでしょう。しかし、「薬が余ってるから」などと言って予約の数週後にぶらりと外来に現れる患者さんの言うことを信頼して書けるか、、、というと難しいですよね。

究極的には自己申告をきちんとするという患者さんのモラルに頼ることになります。また、免許取得・更新時の虚偽申告には罰則が設けられるようになっています。

 

「医師も患者も把握していない発作が実はあったという場合は?」

これが上記の記事から突きつけられた問題です。

患者さん自身が発作と認識していない発作があった場合は悪意なく申告しないことになるので、無自覚に法令に違反していることになります。注意義務ははたしており悪意はないので罰せられることはないと思われますが、法令下であれば低減されているはずのリスクは回避されず運転してしまう可能性が出てきます。

これを避けるのは医者の医療技術の向上や診察の丁寧さに頼るしかないですね。きちんとありうる発作型について1つ1つ有無を確認したりすることが必要でしょうが、私がすべての患者さんに対してそれを毎回きちんと行えているかというと、、、疑問です。ただし、現況においてこれをすり抜けて起きた事故は報告されていません。許容可能なリスクと言えるかもしれません。

 

「法律は運転免許証取得、更新時についてのものなの?」

基本的にはそうです。報告義務は取得、更新時に課せられています。しかし、「発作を起こしても免許更新までは運転できる」わけではありません。更新時でなくても発作を起こした場合は「法令」に準じて少なくとも2年間運転を控えるべきであり、控えずに運転し事故を起こした場合は危険運転致死傷罪が適応される可能性があります。

 

僕の考えは以上です。

現行の道路交通法、法令は十分な妥当性を持ったもので、それに応じて運転の可否を個々のてんかん患者さんで判断してください。

それを理解した上で「運転しない」というのは上記の記事を書かれた方の自由です。しかし、「運転しない」と判断するのは個々のてんかん患者さんであってそれを全てんかん患者に押し付けるべきではありません。

 

記事を書かれた方の良い発作予後をお祈りしています。

メンタルクリニックと睡眠医療

昨今の医療事情では医療機関の経営も決して安泰ではなく、メンタルクリニックの開業においては、都内ではクリニックが飽和状態となりつつあり、普通のメンタルクリニックのみではなく個性が必要となってきているように思います。また、クリニックのホームページサイトも様々な工夫が見られますし、google検索結果などでも大きく宣伝を行なっているのを目にします。ある複数のメンタルクリニックを経営する医療法人は年間2億円の宣伝費を計上していたという話も聞いたことがあります。また、メンタルクリニックの名称についても「心療内科」や「精神科」「こころのクリニック」「メンタルクリニック」など色々な名称が採用されるようになっており、むしろ「医院」などシンプルで精神科医療を想像させないような名称をつけるクリニックも増えてきているように思います。

クリニックの開業地も工夫が必要で、いわゆる駅前で便の良い場所はすでに飽和しているため、戦略を練ることが必要です。インターネットでは「コバンザメ商法」として、ある程度流行っているクリニックで、院長先生が引退間際のクリニックの間近に開業しておこぼれをもらいながら引退を待つという戦略すら紹介されているのを目にしました。看板も昔からの病院名を掲げた看板のみではなく、かっこいいロゴを作って認知を計る病院も増えています。医療の質のみでは勝負は難しいようです。

メンタルクリニックで診療する疾患としてはうつ病躁うつ病、不安障害、心身症統合失調症認知症てんかん様々な疾患がありますし、訪問診療(アウトリーチ)、リワークといった領域や、発達障害ADHD診療といった新しい分野もあります。が、不眠症、過眠症といった睡眠障害も依然としてメンタルクリニックの対応疾患として重要です。これらの睡眠障害にはポリソムノグラフィー(PSG)と呼ばれる特徴的な検査が行われます。PSGとは、脳波をはじめとして呼吸、四肢の運動、あごの運動、眼球運動、心電図、酸素飽和度、胸壁の運動、腹壁の運動、体位、体動、血圧などの多数の生体センサーを取り付けて一晩寝てもらう検査で、検査する方も受ける方もかなり大変な検査です。また、検査結果の解析もなかなかに大変です。しかし、この検査は保険点数が高い(収入が高くなる)検査であるため、この検査に挑戦するクリニックが増えてきています。検査は「一晩泊まる」つまり入院する必要があるため、入院施設を持ったクリニックを作る必要があり、作るところからかなり大変な検査です。また、入院病床の数は地域ごとに決められているので、その地域に空きがなければクリニック自体を作ることができません。資格としては睡眠医療認定医という資格があり、この資格を持っている医師は睡眠医療の専門家と言えます。また、PSGを患者さんに取り付けたり、データを解析したりするのは技師さんの役目になりますが、技師さんにも睡眠医療認定技師という資格があります。なかなかこの資格を取るのも簡単ではありませんし、資格を持つ技師さんを雇うのも大変です。

また、ライバルとしては睡眠時無呼吸を診療する呼吸器内科医がライバルとなるので、それもなかなか手強い相手となってきます。

今後は軽装備の診療所はなかなか収益が上がらなくなってきて、専門性を打ち出したクリニックが良い収益性を得て行くことになると思いますが、それには初期投資及び技術投資が必要であり、継続的に努力をして行くことが必要です。また、PSGの保険点数は現在では高額ですが、今後の保険点数改定で徐々に下がって来る可能性もあります。そうすると高額な初期投資をしても回収できなくなって来るかもしれません。

上記のような、「専門性、初期投資、継続的な努力」などことは医療ではない業界では当然のことかもしれませんが、今後は医療においてもきちんとした経営を行って行くには必要なことになるのかもしれませんね。

 

沖縄県で唯一と言っていい高いレベルの睡眠医療施設。

この施設ではメンタルクリニックではなく、精神科病院に併設する形で睡眠外来がもうけられていて、PSGを入院で行う形になっている。 

www.hojinkai-group.com

今後はクリニックよりもこういう形が増えるかもしれない。やはり病院のような資本の大きいほうが強いかもしれない。

 

ブロガーは文筆業のダンピング

このところ「アフィリエイト」とか「ブログでお金を稼ぐこと」とかの是非というテーマの議論をよくみかけます。

↓ベテラン「はてなー」の意見

delete-all.hatenablog.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

↓「アフィリエイター」の意見

www.pojihiguma.com

はてな歴の浅い僕からすると興味深い議論で、そもそも「ブログ」でお金を稼ごうと思っている人がいるということ自体が驚きだったのでいろいろ感心したりびっくりしたりしました。ブログでお金を稼ぐためにいろんな努力とか工夫があるのですね。そして得られる報酬はどうやらその努力や工夫の対価としてすごく安いのですね。また、ブログでお金を稼ぐという行為自体に「承認欲求」が絡んでいるようですね。

↓この方が日本でトップのブロガーで一日の報酬がかなり体を張って5万円

togech.jp

 

で、結局僕の結論は「ブログでお金を稼ぐというのは承認欲求を利用した文筆業のダンピングということです。

 

ブログを書いて報酬を得るというのは、結局、直接・間接に何かを宣伝してお金を得ているということですよね。よっぴーさんのPR記事は面白いことをしながら「Yahoo!検索」というサービスを直接的に宣伝しています。多くのアフィリエイト記事は面白いことを書いて、そこに貼られたアフィリエイト広告をクリックしてもらうことで間接的に商品などを宣伝しているわけです。

これって結局雑誌に記事を書いたり新聞に記事を書いたりして広告主からお金をもらうのと変わりません。「ブロガー」さんたちは「新しいことをやっている」などといって出会い居酒屋に行ってその体験を記事にしているようですが、耳目を集めることをやってそれを記事にし、対価を得るというのは昔から行われてきたことです。例えば、今も行われている世界最大の自転車イベント、「ツールドフランス」などは「ロト」という新聞社主催で始まったもので、まさに新聞を読んでもらうため、買ってもらうために始められたものです。日本でも高校野球や駅伝などのイベントは強い新聞社との結びつきがあります。こういった壮大なスポーツイベントと比べると、「ブロガー」さんたちがはしゃいでいる様子はかなり小さな規模で営業しているように感じます。

結局はそういった大きなイベントが飽和しており新規参入が難しいこと、インターネットの普及により小さなイベントや記事の拡散コストが大きく下がったことが「ブロガー」が「ブログでお金を稼ぐ」ということの流行につながったのではないでしょうか。

ブログでお金を稼ごうとスタートするのは非常に簡単なようです。ブログを立ち上げる←簡単。ブログを書く←簡単。そこにアフィリエイト広告を貼る←簡単。です。

しかし、どうもそこから得られる報酬は多くの場合非常に少ないようですね。そしてある程度以上の報酬を得ようとすると、かなりのアイデアと工夫と努力が必要なようです。それでも、多くの「ブロガー」たちがそこに参入しています。それは参入障壁が非常に低いことももちろんあると思うのですが、この記事の頭にリンクを貼ったようにブログでお金を稼ぐという行為自体に承認欲求の追求があるようです。承認欲求を満足させられるからこそブロガーが参入し、いろいろな競争をしながら少ない利益を追求するという構図ができているのでしょう。

 

でも、この構図だと特をするのは広告主です。

自分ではなにもせずとも、ブロガーが勝手に「工夫して」「努力して」「アイデアを出して」「安く」商品やサービスを紹介してくれます。

以前は新聞社などのプロにお金を出して、お願いをしないと商品の宣伝は出来ませんでした。あるいは自社でアイデアを出した広告を高いお金を出して掲載してもらわなければなりませんでした。しかし、今はほっといてもブロガーが紹介してくれる様になっています。

↓なんかはほとんどコーエーの宣伝です。昔であればファミ通にお金を出して書いてもらうような内容でしょう。

dabunmaker.hatenablog.com

現在のインターネットの普及で参入障壁が下がり、PVや報酬で承認欲求の追求ができるようになったことで、多くのブロガーが安い報酬でも一生懸命頑張るという構図が出来てしまっているのではないでしょうか。これが僕が「ブログでお金を稼ぐというのは承認欲求を利用した文筆業のダンピング」と考える理由です。

みなさんはどうお考えでしょうか

 

知っているからわかる。

あらかじめ知識がないとわからないから騙される

blog.livedoor.jp

これを読んで思ったことです。僕は医療を知っているからこの記事に騙されないけれど、知らない人は騙される可能性がある。ということです。

この記事やこの記事が引用している小児科医の文章は非常に短いですが、重要な例になっていると思います。

 

「考えればわかる」か 

jibunlife.hateblo.jp

この記事でもそうですが、インターネット内では「ジアタマが良ければ考えればなんでも正しい主張にたどり着ける」と思っている人が多すぎる様に思います。知識がなくても充分な思考力があれば正しい結論を導けるという考えが多すぎます。アメリカの、特にIT系の人たちもこれに近い思想があるように思いますが、しかしこれはとても危険です。僕は、人間は知らないことは正確に判断できないことが多いと思います。

ある程度の議論ができる(表明出来る)人たちは、論理展開力には充分なものがあります。緻密な議論を展開する人から大雑把な議論を展開する人までいますが、ある程度プレゼンスのある議論を表明できる人たちが展開する議論の内部では矛盾や無理な飛躍は多くはありません。それらはたいていよく出来た議論に見えます。しかし、実際にはその結論のうち幾つかは間違っています。あるいは、同じ論点に対してある人の結論とある人の結論が相互に食い違っていたりしたりします。どの議論もその議論の内部ではまとまった論理構造を持っているのに、なぜこんなに食い違ったり、間違ったりするのでしょうか。

やはり前提としているものが異なっていたり誤っていたりするからではないでしょうか。

言説は常に前提からスタートします。その上にさまざまな事実や事実認識を重ねながら議論を重ねていきます。この「議論」は一定の技術があれば矛盾のない議論展開が可能です。先ほども申し上げたように、一定の評価を受ける、ある程度プレゼンスのある議論を表明できる人はこの「議論」においては大きな矛盾はなく、議論は破綻しません。そして、この「議論」は矛盾なく進む限り「1方向」です。論理、ロジックはきちんと運用する限りは突っ込みどころのないものとなるはずです。

では、なぜいろいろな方の言説が異なった結論に至るのでしょうか。なぜちゃんと議論を展開しているのにすべての人を納得させられないのでしょうか?

それは前提としているものや、途中で援用した事実、事実認識が異なるからなのだと思うのです。

 

「頭のよい人」は矛盾のない論理を展開することができます。そしてそれは矛盾なく滑らかのためみんなに「正しい」と受け取られがちです。そうして、「頭が良ければ正しい議論が展開できる」なので「ジアタマが良ければ考えればなんでも正しい主張にたどり着ける」という主張がなされがちなのだと思います。

しかし、どんなに正しいと思われる議論が展開されてもそれは間違っている可能性があります。正しい前提や正しい事実・事実認識に立っていない可能性があるからです。そして、この正しい前提や事実認識に立つには、「経験」が必要なのだと思うのです。実際に体験してみないと、その業界で起こっていることや、よくある失敗するポイント、特殊性などは理解できません。こういったことを理解しないで表面上知ることのできる前提だけに立って、論理を展開しても正しい結論を導くことはできないと思うのです。

 

ここで、一時期インターネット上で流行った話を考えてみましょう。沖縄でのハブをやっつけるためにマングースを輸入した話です。詳しくは以下のリンクを読んでください。

マングース、ハブ退治裏目に

簡単に紹介すると、ハブに困っている→ハブの天敵のマングースを放てばハブをやっつけてくれるはず→マングースはハブをやっつけられるけどそんな面倒なことはわざわざはしない→マングースはハブ以外の動物を獲物にするようになってさらに自然破壊が進んだ。

というストーリーです。

一見、ハブに困っているのであればその天敵を放てばハブがやっつけられるという理論には間違いがないように見えます。そして、間違いなくハブの天敵であるマングースを利用したのです。ロジックに穴はありません。

しかし、うまくいきませんでした。なぜでしょうか。

マングースはハブの天敵なのは確かだけど、他にもっと簡単な獲物があればそっちを捕まえようとする、という事実を見落としていたのです。

このように不十分な前提把握や事実把握で物事を判断すると、どんなに理論に矛盾がなくても失敗します。

そして世の中の事象は非常に複雑であり、その専門世界を体験しないと十分な前提把握や事実把握には至れません。

これが僕が、「ジアタマが良ければ考えればなんでも正しい主張にたどり着ける」は間違いだと思う理由です。ジアタマが良ければ、考えれば矛盾のない理論を展開することができます。しかし、正しい前提把握や事実把握ができないため、経験を積まないと正しい結論に至ることはできないと思います。

 

皆さんはどのようにお考えでしょうか?

 

追記

「ハブとマングース」の話で記事を見つけました

thepage.jp

「医局」ってなに


Lab Tour / jurvetson

 

以前

医局を離れることにした - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかとか

「事務所」と「医局」 - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかとかという記事を書きました。

医局ってなんなんですかね、なんか特殊ですよね。よく考えると、医療外の人たちにとって「医局」って何なのかわかりにくいこともあるかな、と思い、「医局」というものについて説明してみようと思います。

 

「医局」とは

「医局」と聞いてみなさんはどういうものをイメージするでしょうか。「白い巨塔」の教授回診でしょうか。

医局というのは簡単に言うと「医師の互助会でかつピラミッド型のヒエラルキーな人の集まり」です。横暴かつ理不尽なイメージもありますし、人が集まればそれで組織ができるというだけという見方もできます。しかし、それだけでは医局という組織が全国にあり、ここまで持続することはありません。やはり医局というものが存在するメリットもあるんだと思います。

以下に医局の特徴を書き出して、理解を深めてみようと思います。

1. 医局は大学の科ごとです

 僕は精神科ですが、消化器内科とか、脳外科とか科ごとに大学下に医局が形成されています。そして、そのトップが大学の教授です。なので、「A君は○○大学△科の医局所属だからそのボスはB教授」という感じで人に紹介されたりします。

2. 医局は決まったルールがあるわけではない人と人とのつながり

 特に「医局」を定めた一般的なルールはありません。非公式の人と人とのつながりです。大学によっては明文化されたものにサインさせたり、名簿を作ることもあるかもしれませんが、それになにか法律的なものが絡むわけではありません。別にその取り決めを破ったからといって契約違反に問われるということはないと思います。つまり、慣習や因習による人のつながりが中心です。また、医局費と言う名目で高額の年会費を取る医局もあるようですが、僕が今いるところはそんなこともなく、毎年名簿を作るため程度の費用を払っているだけです。

 ですので、本来は医局に入ったり出たりするのは自由なはずです。実際、僕が所属する医局も毎年、別の大学を卒業した医師たちを受け入れています。そして、残念ながら何人も毎年医局から出て行っています、、、また、同窓の後輩の入局が少ないのは、彼らが学生の頃から授業などを通して僕らの医局が魅力がないことがバレてしまっているのかもしれません(涙)

3. 医局は関係する病院に人を派遣する

 これが医局の機能の最も重要なものの一つです。病院が医者をリクルートするのはなかなかに大変です。また、医者側も自分で働く病院を自分で決めるのは簡単ではありません。なので、医局が病院と医者をマッチングする機能を担っています。 

 これも特に明文化された機能ではありません。よくあるパターンは、〇〇病院の△科の部長がうちの医局出身だから、そこには人を送るという形です。その〇〇病院△科の定員全部が同じ医局で占められることが多いですが、数人ずつ違う医局から人を受け入れている場合もあります。多くの場合、その病院中から一人別の病院に移ると、一人また新しい人を医局から派遣するのが慣習です。

 この流れがうまくいくと、派遣先の病院の人員は非常に安定します。派遣されてくる医師を医局があらかじめ選別してくれるだけでなく、メンバーが同窓意識を持つためチームを組むことが容易になります。また、揉め事があっても医局のお偉いさんに取り持ってもらったりもできます。

4. 医局の関連病院の中で人を育てる

 これが若い医者が医局に所属していることのメリットになりえます。若い医者としては2年か3年ごとにいろいろな特色のある病院を回って、様々な技能や経験を得たいと考えています。また、最近は専門医を取得するために幅広い疾患の経験が求められるため、その取得のためにもいろいろな病院を回るのは必要なことです。しかし、そのために数年ごとに自分で病院を調べて、比較して、就職活動して、、、とやるのは非常に大変です。そのため、この機能を病院に人を派遣する機能を持っている医局が代行してくれます。ただ、このなかで「お前は2年後は良い所に行かせてやるから2年間はここで我慢しろ」などということもあり得るのがデメリットです。大きくうまくいっている医局であれば「留学したい」や「どこそこの病院に行きたい」というような個々の医局員の意をくんだ人事ができますが、そうでなければみんなが不満を持つことになります。

5. 医局の中で情報交換ができる

 地方での学会などいくと、多くの医局員たちが全国の病院から集まり、飲み会などが開かれます。そのなかで様々な活動をしている先生方の話を聞くことができ、いろいろな情報に触れることができます。その中で、ロールモデルとなる先輩を見つけ出すこともできるかもしれません。また、専門医等の資格や、特殊な技術などは一人で身につけることは困難であり、医局内での情報を頼りに勉強したりすることはとても重要です。

6. 関連病院の科の後ろ盾になる

現代は医療の経営は容易ではありません。そのため、病院に勤める部長、医長などの管理職は院長や経営陣からの強いプレッシャーにさらされています。時には医者の人員を減らして現在と同じ仕事をしろなどというプレッシャーを受けることもあるかもしれません。こういったプレッシャーを受けた時に部医長はなんとか抵抗するわけですが、医局の後ろ盾がないと抵抗もしにくいところがあります。医局と円滑な関係が築けていれば、医局から病院の上層部に「そんな理不尽を言うなら人員を引き上げるぞ」などとプレッシャーをかけてもらうことで部医長が病院側と戦うことができます。

 

医局はこのように病院に人を派遣する機能を中心として様々な機能を持って存在しています。最近は若手医師は医局に関係せず自分で病院を探して就職する傾向にあって、徐々に医局の力が弱まっているところがあります。その反面、指導医クラスも人事が流動的になっているところがあるので、病院が指導医を押さえておいて自前で若手を育てるというプロジェクトを継続的に行うのも容易ではありません。また、そういった病院内部のみで医師を育てるという形式になるとgeneralな手技等では一流の医師が育てられても、真に先進的な医師が育たないという問題点も生じます。真に先進的な医師は様々な環境を経験し学ぶことで生まれるものです。そういった環境は病院横断的に存在する医局という機構でしか準備することはできません。(真の一流は自分で見付けるのかもしれませんが)

僕がいた医局はかつては超一流でしたが、今の教授になって急速にしぼんでしまい、関連病院を維持するだけで精一杯になってしまいました。僕は医局を離れることになりますし、今後も時代の流れで医局の影響力というのは下がっていくと思われます。しかし、同窓を中心とした仲間の集まりはうまくいっているときは居心地が良いものでもあり、存在する価値はあると思います。

みなさんも病院にかかることがあれば主治医の先生の所属医局を聞いてみても面白いかもしれませんよ

 

 

 

築地の移転問題からみるオリンピックの必要性


Olympic Rings / Oliver E Hopkins

東京オリンピック、徐々に話が現実化してきましたね。2020年といえばあと4年!今年ブラジルのリオデジャネイロで開催されて、その次です。

石原慎太郎前都知事が強力に推進して開催に立候補、この時から様々な議論がされていて、本当に東京での開催が必要なのかという疑問が常に呈されてきました。

今回滝川クリステルさんのすばらしい「おもてなし」スピーチで東京に決まりましたが、招致をがんばっていた猪瀬直樹東京都知事が不透明な借入金問題で辞職され、ザハ・ハディッドさんのデザインの競技場が建設費の高騰で白紙になり、佐野研二郎さんのデザインのエンブレムがパクリ問題で白紙になりました。こんなに始まる前からモメるのもなかなかないことではないでしょうか。

僕は東京に住んでいることもあって、石原都知事のオリンピック招致の話がでたころからあまりオリンピック開催に前向きな気持ちはありませんでした。「すごく混んで通勤が大変になるよ、、、」というツマラナイ理由です。しかし、オリンピック招致派のいうことも一定には理解出来るという立場でした。

オリンピック招致派は多くはオリンピックを招致する理由として

1. たくさんの人がオリンピックを見に来て経済効果がある

2. 首都高やその他の老朽化したインフラの再開発ができる

という理由を挙げます。「オリンピックでお金が稼げるし、準備のためにお金使わなきゃだけど使った分のインフラはオリンピック後も使える」というやつです。それぞれに「本当は経済効果なんかない」などなどの反論はあるのでしょうが、僕はおおむね理解出来る理由だと思っていました。なので、東京が一時期混むのが嫌だけど、まあ「しょうがないかな」というぐらいの消極的な姿勢でオリンピックに賛成していました。しかし、友人と築地の移転問題について話していた時に、「あ、これはオリンピックやるほうがいいんだ」と思い直したので、その理由を書いておきます。

 

友人から聞いた築地卸売市場の移転問題

築地卸売市場は「施設が老朽化」していて「衛生管理が困難」なので現状のままでは継続が困難だが、「あちこち複雑に建増しなどしているので細かく修復することができない」ので「移転が必要」だということです。これが移転が必要な理由とされています。

僕はこれまで、「政府は移転を推進しているが、卸売市場のひとは築地にとどまりたがっている」と理解していたのですが、どうもそうではないようです。友人が言うには「上記の理由は市場を利用する人みんなが理解している。みんな移転の必要性はわかっているんだけれども、そのタイミングやどこに移転するかでこれまで話が決まらなかった」ということだそうなのです。築地に住むが直接は築地卸売市場で勤めているわけではない友人の話です。もしかすると不正確かもしれません。しかし、これを聞いて「あ、オリンピックって必要なんだ」と僕は思いました。

 

全員を納得させる方法はない

結局、オリンピックなどの「どうしようもなく来てしまうイベント」がないと物事が決められないということだと思います。世の中には総論賛成各論反対で「やらなきゃいけないのはわかっているのに前に進められないこと」が数多くあります。築地卸売市場をここで例にとりましたが、首都高でも「工事にすると一時通行止めになって大変だから」などの理由で老朽化したままビクビクしながら使っているところもあるかもしれません。全員を納得させる形で物事が進められることは、インフラや再開発のような大きな事業になると不可能です。おそらく東京中に全員が納得出来る形が取れないからそのままの不便な形で取り残されているところがあると思います。

今回のオリンピックでは「もうオリンピックきちゃうから、完璧じゃなくても全員が納得しなくても決めてしまおう!」とそういったところにメスを入れることができるかもしれません。こういった定期的に来てしまう大きなイベントは物事を決めるのに必要なのではないかと思いました。オリンピックというお祭りは、世界的なイベントでブランド力があり、世界中から人が来るので「おもてなし」として素晴らしいものにしたいと当然みんな思います。そういうみんなが同じ方向をむいた状態を利用することで、各論反対を閉じ込めて東京の大きなリモデリングがなされるのかもしれません。僕はそれも必要なことだと思いました。そのなかで押しつぶされる小さな不幸が多くならないように願うばかりです。