cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんか

ボストン留学帰りの精神科医。自転車好き。

How are you!はHow are you?ではない

f:id:cyciatrist:20151124000443j:plain

「How are you! 」は 「How are you? 」ではない。

 

アメリカで暮らしていた時のこと。毎朝の挨拶はこんな感じだった。

A: Hey! How are you!

B: Good! How are you! (めちゃくちゃ早口で言う)

A: Good!

 

 

これは決して

A: ごきげんどう?

B: とても良いよ!あなたはどう?

A: 僕も調子いいよ!

ではない

 

おそらくアメリカ人たちがこの会話をしている実際のイメージとしては

A: いよう!

B: お!どもども。

A: 今日もよろしく

くらいである。

 

ここで

How are you?と本当に調子や機嫌を聞かれていると思って、考え込んではいけない。正直にその日の調子を聞かれていると考えてはいけないのだ。

 

How are you!は挨拶

この場合、How are you!は一見質問に見えるが、単に挨拶として使用されている。なので、ちょっと考え込んで「今日はちょっと熱っぽい」などと返答するのは空気読めないと受け取られかねない。あるいは本当にやばい状態にあるのではと心配されてしまう。

なので、英語文化圏に溶け込みたいと思ったらHow are you!と言われたら条件反射でGood!と反応できるようにならないといけない。むしろ、How are you!と話しかけられる前にこっちからHow are you!と話しかけていかねばならない。また、How are you!と言われたらこっちからもHow are you!というのがマナーなので、上記のようなGood! How are you!とものすごく早口で返すのが当然ということになる。挨拶なので、ネイティブたちはこのGood! How are you!という応答が完全に自動化され条件反射になっている。これは日本人が「どうも」といわれて「あ、どうも」と返すのとほとんど同じことである。

 

自動化しているから起こる間違い

How are you!に対するGood! How are you!という返答があまりに自動化され条件反射になっているため、ネイティブ間の会話でよく起こる間違いがある。

A: Good Morning!

B: Good! How are you!

A: Good!

 

A: おはよう!

B: 調子良いよ!あなたは?

A: 調子良いよ!

である。

 

Aは一切なにも質問しておらず普通に挨拶しただけなのに、Bは自動化されたHow are you!に対する応答を反射的に行っている。会話としては成立していない。 でも、全く気にせず二人は満足げに自分たちの持ち場に移っていく。こういう場面をよく目撃した。これは明らかにHow are you!から始まる会話が質問とそれに対する返答なのではなく、単なる挨拶であるという証拠である。good以外の返答は用意されておらず、別にこのgoodを別の挨拶をされた後に返してもいいのである。

日本人は(少なくとも僕はそうだった)、初めはHow are you!と言われるとその日の調子を聞かれていると思ってしまって、どぎまぎしてしまってちょっと考えてしまい、返答が遅れる。そうすると、英語ネイティブからすると「挨拶してるのに返事がない」となってしまうリスクがある。英語圏へ行った際にはHow are you!と言われたら反射的になにも考えず「Good!」と返答できると会話も開始しやすいかもしれない。

 

 

 

 

 

精神科医が見た投資心理学

f:id:cyciatrist:20151115100637j:plain

 

精神科医が見た投資心理学

感想

内容はオカルト的だと感じた。

原題は「tools and techniques for minding the markets」であり、原題では「精神科医」ということは強調されていない。実際、著者がナリワイとしているのは心理治療であり、日本では臨床心理士があたる仕事に近い。医師免許は取得しており、アメリカではそのような仕事が日本よりも精神科医の仕事であるようだが、そのなかでもやや異端のように思われる。

まず著者が行っているのは非常な短期治療で、「病的でない人々」を相手にする治療とのことである。(それって医者なのか?) 短期治療と言うクセして文中には「フロイト主義」との言が出現するし、、、フロイト主義で行くと短期治療は不可能だと思うのだが。
本にあるcaseをみると、僕が知っている療法の中では「説得療法」に近いような気がした。
evidence重視といいつつこういう事もやっているアメリカというのもなんだか疑問に思うが、当然自費診療なのであろう。ただ、著者が治療をしているのはどうもお金持ちだけということもなさそうで、むしろ他でお金をもうけている精神科医が趣味的にこの本にあるような治療をやっているような印象をうけた。
にしても療法の効果があるかどうかはさておき、この精神科医と同じような心理療法をやるには、治療者の知的能力がかなり高くないと出来ないと思った。
著者は頭の回転にかけては相当なもんだと思う。

著者の心理治療についてばかり気になったが、切羽詰まった場面での様々な心理パターンをよく知っていると思われる著者が、それを投資場面に当てはめてアドバイスする本、というくらいの理解で読めば悪くない本だとは思う。
ただ、それは本当に投資場面において実行が可能か、実際効果があるか、については不明である。

プロジェクトと友情

f:id:cyciatrist:20151106222556j:plain


プロジェクトや遊びを共有しないと人間関係は産まれない。

 

自分がかつて短期間他の部署に配属されて勉強させてもらっていた経験から。


その時は、正直かなりストレスを感じていた。
自分としては医者になってからそれまで、職場の人間関係が円滑にいかないと悩むことはなかった。
僕は自分から親しさを演出するのは下手な方だと思うが、これまで大過なかった。それまで何度も新しい環境を経験して、適応出来て、もう、どこでもそれなりに仲良くやれる人間なんだと思っていた。

しかし、その科での研修中はほかのメンバーと非常に疎遠と感じて、疎外感が強くあった。

 

3ヶ月間、同じ部屋で勤務する。 朝から夕まで部屋内で全員仕事をする。昼食はみんなでとる。明らかな変な人はいない。

        でも、疎外感を延々と感じ続け、居心地が悪かった。

 

その理由を分析したら、

1. 科自体が仕事は1人でやる物が多く、仕事を頼んだり頼まれたりが無かった。

2. そのため、仕事中近くに居ても世間話以外のコミュニケーションを取らなかった。

3. たまたま部屋の引越しが予定されていて仕事量が少なかった。従って協力しないと仕事が終わらないという状況が産まれなかった。

   というような様な理由が挙げられた。

 

まとめると「共同してあたるプロジェクトがなかった」という理由にまとめられるように思う。

それまで割に疎外感を感じずやれていたのは、病棟仕事というバタバタとした困難に皆で共同してあたっていたから、仲間意識みたいなのが勝手に醸成されていたのだと気づかされた。

プロジェクトや困難を共有しないと簡単には友人や仲間にはなれない。

 

逆に言うと、同じ学校や部活の人達がその後も仲が良いのは当たり前ということになるとかもしれない。困難なプロジェクトに共同して取り組むことで徐々に連帯意識が自然と醸成されていく。外科のスタッフが仲が良いのも当然かもしれない。チームを作って共同して手術にあたっていくことが逆にチームワークを作っていくのだろう。

今後自分のチームにも意識的にみんなであたらなければならない課題を与えていかないといけないのかもしれない。