cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんか

ボストン留学帰りの精神科医。自転車好き。

生活に割く精神的リソースを小さくしたい(反ミニマリスト)

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生活に割くリソースを小さくしたい、と最近思います。反ミニマリストと書きましたが、「生活に割く精神リソースミニマリズム」です。

以前、ミニマリストについて

ミニマリストは「わかって」ないと無理 - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかというエントリを書きました。

この中で、ミニマリストはモノを「これは要らない」と捨てていく生活なだけではなく、「これは残すべき、良い物である」とモノを選び取っていく生活でもある、と考察しました。しかし、これは常に意識して生活するのは結構大変そうです。

ミニマリストさんたちのようなシンプルで少ないモノに囲まれて生きることに憧れがあるのは事実です。が、そのような生活を維持するのにはとてもエネルギーが要りそうです。

 

質の良い生活もしたいけど、生活以外のことも目一杯したい

ミニマリストさんたちは「生活」をとてもよく見つめ、考え、実行して生きていると思います。でも、僕は生活だけじゃなくて、仕事や遊びや趣味なども目一杯楽しみたいと思っていますし、その中で何かを実現したいと考えています。

もちろん、ミニマリスト的な生き方と仕事等は両立しうるものです。別にミニマリストになったからといって仕事ができなくなるわけではありません。遊びに行くことができなくなるわけでもありません。ただ、ちょっと不便になるだけだと思います。僕はそのちょっとの不便さにとても抵抗感があります。生活の細々したところに少しずつ感じる不便感、そういうものがあると徐々に生活以外に向ける精神的リソースが減ってくるんじゃないかと不安になるのです。目一杯に仕事や遊びにエネルギーを使いたいのに、生活がちょっと不便で気を取られてしまうんじゃないかと不安になります。

 

ミニマリストは絶対エネルギーを使うと思う

今はモノについてはとても便利な時代です。すぐそこにコンビニがあって深夜まで何かを買いに行けますし、クリック一つで通販会社が家までモノを送り届けてくれます。モノ自体も考え抜かれて作られており、やりたい作業に最適化されたモノがすぐに見つかります。また、よくデザインされて所有欲を満たすモノが沢山あります。なので、簡単に身の回りは便利なモノにあふれてしまいます。

この中で、身の回りにあるモノを少なく保とうとするのはとてもエネルギーがいることだと思います。「あ、あれがあったら便利なのに」「これ持っとくといついつに使えそう」などと思うのをぐっと我慢して、「うちにあるあれはあれとあれに使えるから、この道具はいらないな」などと毎回考えないといけないというのはなかなかに大変なのではないでしょうか。「これは要らない」と捨てていくだけならまだ自分のエネルギーでやれそうですが、「これは残すべき、良い物である」と何かの折に毎回モノを選び取っていく生活は、おそらく常にエネルギーを必要とされる生活に違いありません。その生活をした上で仕事、遊びに全力投球は僕には大変な気がします。

生活をシンプルに保つために恒常的に精神的なリソースが取られるのは苦痛です。

 

ミニマリストは生活をとても良く見据えて生活していると思うのですが、それをやるにはとても大きなエネルギーが必要で、やっぱり他のことが犠牲になってしまうのではないでしょうか。僕はミニマリストに憧れながらも、好きなものを好きなように買って便利に使い、生活に割く精神的なリソース、エネルギーを少なく保って、生活以外をなるべく目一杯に楽しもうと思います。

*1:Patrik Nygren