cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんか

ボストン留学帰りの精神科医。自転車好き。

ブロガーは文筆業のダンピング

このところ「アフィリエイト」とか「ブログでお金を稼ぐこと」とかの是非というテーマの議論をよくみかけます。

↓ベテラン「はてなー」の意見

delete-all.hatenablog.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

↓「アフィリエイター」の意見

www.pojihiguma.com

はてな歴の浅い僕からすると興味深い議論で、そもそも「ブログ」でお金を稼ごうと思っている人がいるということ自体が驚きだったのでいろいろ感心したりびっくりしたりしました。ブログでお金を稼ぐためにいろんな努力とか工夫があるのですね。そして得られる報酬はどうやらその努力や工夫の対価としてすごく安いのですね。また、ブログでお金を稼ぐという行為自体に「承認欲求」が絡んでいるようですね。

↓この方が日本でトップのブロガーで一日の報酬がかなり体を張って5万円

togech.jp

 

で、結局僕の結論は「ブログでお金を稼ぐというのは承認欲求を利用した文筆業のダンピングということです。

 

ブログを書いて報酬を得るというのは、結局、直接・間接に何かを宣伝してお金を得ているということですよね。よっぴーさんのPR記事は面白いことをしながら「Yahoo!検索」というサービスを直接的に宣伝しています。多くのアフィリエイト記事は面白いことを書いて、そこに貼られたアフィリエイト広告をクリックしてもらうことで間接的に商品などを宣伝しているわけです。

これって結局雑誌に記事を書いたり新聞に記事を書いたりして広告主からお金をもらうのと変わりません。「ブロガー」さんたちは「新しいことをやっている」などといって出会い居酒屋に行ってその体験を記事にしているようですが、耳目を集めることをやってそれを記事にし、対価を得るというのは昔から行われてきたことです。例えば、今も行われている世界最大の自転車イベント、「ツールドフランス」などは「ロト」という新聞社主催で始まったもので、まさに新聞を読んでもらうため、買ってもらうために始められたものです。日本でも高校野球や駅伝などのイベントは強い新聞社との結びつきがあります。こういった壮大なスポーツイベントと比べると、「ブロガー」さんたちがはしゃいでいる様子はかなり小さな規模で営業しているように感じます。

結局はそういった大きなイベントが飽和しており新規参入が難しいこと、インターネットの普及により小さなイベントや記事の拡散コストが大きく下がったことが「ブロガー」が「ブログでお金を稼ぐ」ということの流行につながったのではないでしょうか。

ブログでお金を稼ごうとスタートするのは非常に簡単なようです。ブログを立ち上げる←簡単。ブログを書く←簡単。そこにアフィリエイト広告を貼る←簡単。です。

しかし、どうもそこから得られる報酬は多くの場合非常に少ないようですね。そしてある程度以上の報酬を得ようとすると、かなりのアイデアと工夫と努力が必要なようです。それでも、多くの「ブロガー」たちがそこに参入しています。それは参入障壁が非常に低いことももちろんあると思うのですが、この記事の頭にリンクを貼ったようにブログでお金を稼ぐという行為自体に承認欲求の追求があるようです。承認欲求を満足させられるからこそブロガーが参入し、いろいろな競争をしながら少ない利益を追求するという構図ができているのでしょう。

 

でも、この構図だと特をするのは広告主です。

自分ではなにもせずとも、ブロガーが勝手に「工夫して」「努力して」「アイデアを出して」「安く」商品やサービスを紹介してくれます。

以前は新聞社などのプロにお金を出して、お願いをしないと商品の宣伝は出来ませんでした。あるいは自社でアイデアを出した広告を高いお金を出して掲載してもらわなければなりませんでした。しかし、今はほっといてもブロガーが紹介してくれる様になっています。

↓なんかはほとんどコーエーの宣伝です。昔であればファミ通にお金を出して書いてもらうような内容でしょう。

dabunmaker.hatenablog.com

現在のインターネットの普及で参入障壁が下がり、PVや報酬で承認欲求の追求ができるようになったことで、多くのブロガーが安い報酬でも一生懸命頑張るという構図が出来てしまっているのではないでしょうか。これが僕が「ブログでお金を稼ぐというのは承認欲求を利用した文筆業のダンピング」と考える理由です。

みなさんはどうお考えでしょうか

 

知っているからわかる。

あらかじめ知識がないとわからないから騙される

blog.livedoor.jp

これを読んで思ったことです。僕は医療を知っているからこの記事に騙されないけれど、知らない人は騙される可能性がある。ということです。

この記事やこの記事が引用している小児科医の文章は非常に短いですが、重要な例になっていると思います。

 

「考えればわかる」か 

jibunlife.hateblo.jp

この記事でもそうですが、インターネット内では「ジアタマが良ければ考えればなんでも正しい主張にたどり着ける」と思っている人が多すぎる様に思います。知識がなくても充分な思考力があれば正しい結論を導けるという考えが多すぎます。アメリカの、特にIT系の人たちもこれに近い思想があるように思いますが、しかしこれはとても危険です。僕は、人間は知らないことは正確に判断できないことが多いと思います。

ある程度の議論ができる(表明出来る)人たちは、論理展開力には充分なものがあります。緻密な議論を展開する人から大雑把な議論を展開する人までいますが、ある程度プレゼンスのある議論を表明できる人たちが展開する議論の内部では矛盾や無理な飛躍は多くはありません。それらはたいていよく出来た議論に見えます。しかし、実際にはその結論のうち幾つかは間違っています。あるいは、同じ論点に対してある人の結論とある人の結論が相互に食い違っていたりしたりします。どの議論もその議論の内部ではまとまった論理構造を持っているのに、なぜこんなに食い違ったり、間違ったりするのでしょうか。

やはり前提としているものが異なっていたり誤っていたりするからではないでしょうか。

言説は常に前提からスタートします。その上にさまざまな事実や事実認識を重ねながら議論を重ねていきます。この「議論」は一定の技術があれば矛盾のない議論展開が可能です。先ほども申し上げたように、一定の評価を受ける、ある程度プレゼンスのある議論を表明できる人はこの「議論」においては大きな矛盾はなく、議論は破綻しません。そして、この「議論」は矛盾なく進む限り「1方向」です。論理、ロジックはきちんと運用する限りは突っ込みどころのないものとなるはずです。

では、なぜいろいろな方の言説が異なった結論に至るのでしょうか。なぜちゃんと議論を展開しているのにすべての人を納得させられないのでしょうか?

それは前提としているものや、途中で援用した事実、事実認識が異なるからなのだと思うのです。

 

「頭のよい人」は矛盾のない論理を展開することができます。そしてそれは矛盾なく滑らかのためみんなに「正しい」と受け取られがちです。そうして、「頭が良ければ正しい議論が展開できる」なので「ジアタマが良ければ考えればなんでも正しい主張にたどり着ける」という主張がなされがちなのだと思います。

しかし、どんなに正しいと思われる議論が展開されてもそれは間違っている可能性があります。正しい前提や正しい事実・事実認識に立っていない可能性があるからです。そして、この正しい前提や事実認識に立つには、「経験」が必要なのだと思うのです。実際に体験してみないと、その業界で起こっていることや、よくある失敗するポイント、特殊性などは理解できません。こういったことを理解しないで表面上知ることのできる前提だけに立って、論理を展開しても正しい結論を導くことはできないと思うのです。

 

ここで、一時期インターネット上で流行った話を考えてみましょう。沖縄でのハブをやっつけるためにマングースを輸入した話です。詳しくは以下のリンクを読んでください。

マングース、ハブ退治裏目に

簡単に紹介すると、ハブに困っている→ハブの天敵のマングースを放てばハブをやっつけてくれるはず→マングースはハブをやっつけられるけどそんな面倒なことはわざわざはしない→マングースはハブ以外の動物を獲物にするようになってさらに自然破壊が進んだ。

というストーリーです。

一見、ハブに困っているのであればその天敵を放てばハブがやっつけられるという理論には間違いがないように見えます。そして、間違いなくハブの天敵であるマングースを利用したのです。ロジックに穴はありません。

しかし、うまくいきませんでした。なぜでしょうか。

マングースはハブの天敵なのは確かだけど、他にもっと簡単な獲物があればそっちを捕まえようとする、という事実を見落としていたのです。

このように不十分な前提把握や事実把握で物事を判断すると、どんなに理論に矛盾がなくても失敗します。

そして世の中の事象は非常に複雑であり、その専門世界を体験しないと十分な前提把握や事実把握には至れません。

これが僕が、「ジアタマが良ければ考えればなんでも正しい主張にたどり着ける」は間違いだと思う理由です。ジアタマが良ければ、考えれば矛盾のない理論を展開することができます。しかし、正しい前提把握や事実把握ができないため、経験を積まないと正しい結論に至ることはできないと思います。

 

皆さんはどのようにお考えでしょうか?

 

追記

「ハブとマングース」の話で記事を見つけました

thepage.jp

「医局」ってなに


Lab Tour / jurvetson

 

以前

医局を離れることにした - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかとか

「事務所」と「医局」 - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかとかという記事を書きました。

医局ってなんなんですかね、なんか特殊ですよね。よく考えると、医療外の人たちにとって「医局」って何なのかわかりにくいこともあるかな、と思い、「医局」というものについて説明してみようと思います。

 

「医局」とは

「医局」と聞いてみなさんはどういうものをイメージするでしょうか。「白い巨塔」の教授回診でしょうか。

医局というのは簡単に言うと「医師の互助会でかつピラミッド型のヒエラルキーな人の集まり」です。横暴かつ理不尽なイメージもありますし、人が集まればそれで組織ができるというだけという見方もできます。しかし、それだけでは医局という組織が全国にあり、ここまで持続することはありません。やはり医局というものが存在するメリットもあるんだと思います。

以下に医局の特徴を書き出して、理解を深めてみようと思います。

1. 医局は大学の科ごとです

 僕は精神科ですが、消化器内科とか、脳外科とか科ごとに大学下に医局が形成されています。そして、そのトップが大学の教授です。なので、「A君は○○大学△科の医局所属だからそのボスはB教授」という感じで人に紹介されたりします。

2. 医局は決まったルールがあるわけではない人と人とのつながり

 特に「医局」を定めた一般的なルールはありません。非公式の人と人とのつながりです。大学によっては明文化されたものにサインさせたり、名簿を作ることもあるかもしれませんが、それになにか法律的なものが絡むわけではありません。別にその取り決めを破ったからといって契約違反に問われるということはないと思います。つまり、慣習や因習による人のつながりが中心です。また、医局費と言う名目で高額の年会費を取る医局もあるようですが、僕が今いるところはそんなこともなく、毎年名簿を作るため程度の費用を払っているだけです。

 ですので、本来は医局に入ったり出たりするのは自由なはずです。実際、僕が所属する医局も毎年、別の大学を卒業した医師たちを受け入れています。そして、残念ながら何人も毎年医局から出て行っています、、、また、同窓の後輩の入局が少ないのは、彼らが学生の頃から授業などを通して僕らの医局が魅力がないことがバレてしまっているのかもしれません(涙)

3. 医局は関係する病院に人を派遣する

 これが医局の機能の最も重要なものの一つです。病院が医者をリクルートするのはなかなかに大変です。また、医者側も自分で働く病院を自分で決めるのは簡単ではありません。なので、医局が病院と医者をマッチングする機能を担っています。 

 これも特に明文化された機能ではありません。よくあるパターンは、〇〇病院の△科の部長がうちの医局出身だから、そこには人を送るという形です。その〇〇病院△科の定員全部が同じ医局で占められることが多いですが、数人ずつ違う医局から人を受け入れている場合もあります。多くの場合、その病院中から一人別の病院に移ると、一人また新しい人を医局から派遣するのが慣習です。

 この流れがうまくいくと、派遣先の病院の人員は非常に安定します。派遣されてくる医師を医局があらかじめ選別してくれるだけでなく、メンバーが同窓意識を持つためチームを組むことが容易になります。また、揉め事があっても医局のお偉いさんに取り持ってもらったりもできます。

4. 医局の関連病院の中で人を育てる

 これが若い医者が医局に所属していることのメリットになりえます。若い医者としては2年か3年ごとにいろいろな特色のある病院を回って、様々な技能や経験を得たいと考えています。また、最近は専門医を取得するために幅広い疾患の経験が求められるため、その取得のためにもいろいろな病院を回るのは必要なことです。しかし、そのために数年ごとに自分で病院を調べて、比較して、就職活動して、、、とやるのは非常に大変です。そのため、この機能を病院に人を派遣する機能を持っている医局が代行してくれます。ただ、このなかで「お前は2年後は良い所に行かせてやるから2年間はここで我慢しろ」などということもあり得るのがデメリットです。大きくうまくいっている医局であれば「留学したい」や「どこそこの病院に行きたい」というような個々の医局員の意をくんだ人事ができますが、そうでなければみんなが不満を持つことになります。

5. 医局の中で情報交換ができる

 地方での学会などいくと、多くの医局員たちが全国の病院から集まり、飲み会などが開かれます。そのなかで様々な活動をしている先生方の話を聞くことができ、いろいろな情報に触れることができます。その中で、ロールモデルとなる先輩を見つけ出すこともできるかもしれません。また、専門医等の資格や、特殊な技術などは一人で身につけることは困難であり、医局内での情報を頼りに勉強したりすることはとても重要です。

6. 関連病院の科の後ろ盾になる

現代は医療の経営は容易ではありません。そのため、病院に勤める部長、医長などの管理職は院長や経営陣からの強いプレッシャーにさらされています。時には医者の人員を減らして現在と同じ仕事をしろなどというプレッシャーを受けることもあるかもしれません。こういったプレッシャーを受けた時に部医長はなんとか抵抗するわけですが、医局の後ろ盾がないと抵抗もしにくいところがあります。医局と円滑な関係が築けていれば、医局から病院の上層部に「そんな理不尽を言うなら人員を引き上げるぞ」などとプレッシャーをかけてもらうことで部医長が病院側と戦うことができます。

 

医局はこのように病院に人を派遣する機能を中心として様々な機能を持って存在しています。最近は若手医師は医局に関係せず自分で病院を探して就職する傾向にあって、徐々に医局の力が弱まっているところがあります。その反面、指導医クラスも人事が流動的になっているところがあるので、病院が指導医を押さえておいて自前で若手を育てるというプロジェクトを継続的に行うのも容易ではありません。また、そういった病院内部のみで医師を育てるという形式になるとgeneralな手技等では一流の医師が育てられても、真に先進的な医師が育たないという問題点も生じます。真に先進的な医師は様々な環境を経験し学ぶことで生まれるものです。そういった環境は病院横断的に存在する医局という機構でしか準備することはできません。(真の一流は自分で見付けるのかもしれませんが)

僕がいた医局はかつては超一流でしたが、今の教授になって急速にしぼんでしまい、関連病院を維持するだけで精一杯になってしまいました。僕は医局を離れることになりますし、今後も時代の流れで医局の影響力というのは下がっていくと思われます。しかし、同窓を中心とした仲間の集まりはうまくいっているときは居心地が良いものでもあり、存在する価値はあると思います。

みなさんも病院にかかることがあれば主治医の先生の所属医局を聞いてみても面白いかもしれませんよ

 

 

 

築地の移転問題からみるオリンピックの必要性


Olympic Rings / Oliver E Hopkins

東京オリンピック、徐々に話が現実化してきましたね。2020年といえばあと4年!今年ブラジルのリオデジャネイロで開催されて、その次です。

石原慎太郎前都知事が強力に推進して開催に立候補、この時から様々な議論がされていて、本当に東京での開催が必要なのかという疑問が常に呈されてきました。

今回滝川クリステルさんのすばらしい「おもてなし」スピーチで東京に決まりましたが、招致をがんばっていた猪瀬直樹東京都知事が不透明な借入金問題で辞職され、ザハ・ハディッドさんのデザインの競技場が建設費の高騰で白紙になり、佐野研二郎さんのデザインのエンブレムがパクリ問題で白紙になりました。こんなに始まる前からモメるのもなかなかないことではないでしょうか。

僕は東京に住んでいることもあって、石原都知事のオリンピック招致の話がでたころからあまりオリンピック開催に前向きな気持ちはありませんでした。「すごく混んで通勤が大変になるよ、、、」というツマラナイ理由です。しかし、オリンピック招致派のいうことも一定には理解出来るという立場でした。

オリンピック招致派は多くはオリンピックを招致する理由として

1. たくさんの人がオリンピックを見に来て経済効果がある

2. 首都高やその他の老朽化したインフラの再開発ができる

という理由を挙げます。「オリンピックでお金が稼げるし、準備のためにお金使わなきゃだけど使った分のインフラはオリンピック後も使える」というやつです。それぞれに「本当は経済効果なんかない」などなどの反論はあるのでしょうが、僕はおおむね理解出来る理由だと思っていました。なので、東京が一時期混むのが嫌だけど、まあ「しょうがないかな」というぐらいの消極的な姿勢でオリンピックに賛成していました。しかし、友人と築地の移転問題について話していた時に、「あ、これはオリンピックやるほうがいいんだ」と思い直したので、その理由を書いておきます。

 

友人から聞いた築地卸売市場の移転問題

築地卸売市場は「施設が老朽化」していて「衛生管理が困難」なので現状のままでは継続が困難だが、「あちこち複雑に建増しなどしているので細かく修復することができない」ので「移転が必要」だということです。これが移転が必要な理由とされています。

僕はこれまで、「政府は移転を推進しているが、卸売市場のひとは築地にとどまりたがっている」と理解していたのですが、どうもそうではないようです。友人が言うには「上記の理由は市場を利用する人みんなが理解している。みんな移転の必要性はわかっているんだけれども、そのタイミングやどこに移転するかでこれまで話が決まらなかった」ということだそうなのです。築地に住むが直接は築地卸売市場で勤めているわけではない友人の話です。もしかすると不正確かもしれません。しかし、これを聞いて「あ、オリンピックって必要なんだ」と僕は思いました。

 

全員を納得させる方法はない

結局、オリンピックなどの「どうしようもなく来てしまうイベント」がないと物事が決められないということだと思います。世の中には総論賛成各論反対で「やらなきゃいけないのはわかっているのに前に進められないこと」が数多くあります。築地卸売市場をここで例にとりましたが、首都高でも「工事にすると一時通行止めになって大変だから」などの理由で老朽化したままビクビクしながら使っているところもあるかもしれません。全員を納得させる形で物事が進められることは、インフラや再開発のような大きな事業になると不可能です。おそらく東京中に全員が納得出来る形が取れないからそのままの不便な形で取り残されているところがあると思います。

今回のオリンピックでは「もうオリンピックきちゃうから、完璧じゃなくても全員が納得しなくても決めてしまおう!」とそういったところにメスを入れることができるかもしれません。こういった定期的に来てしまう大きなイベントは物事を決めるのに必要なのではないかと思いました。オリンピックというお祭りは、世界的なイベントでブランド力があり、世界中から人が来るので「おもてなし」として素晴らしいものにしたいと当然みんな思います。そういうみんなが同じ方向をむいた状態を利用することで、各論反対を閉じ込めて東京の大きなリモデリングがなされるのかもしれません。僕はそれも必要なことだと思いました。そのなかで押しつぶされる小さな不幸が多くならないように願うばかりです。

アメリカでの「ケーキ」の食べ方


Chocolate Carrot Cake / Chocolate-Dessert-Recipes.com

3年間の留学生活から日本に帰ってきて美味しいケーキをときどき楽しんでいます。

先日は妻の誕生日で、近所の有名なケーキ屋さんで4号のちっちゃなケーキを買ってきて美味しく食べました。日本のケーキは本当に美味しい。しっとりとしていて、スポンジやフルーツ、クリームもフレッシュで、すごく複雑な味がします。それでふと思い出したのですが、アメリカにいたときはもっとケーキを食べる機会がたくさんあったように思いました。なにかにつけてアメリカで同僚に誘われて、職場のカフェテリアでケーキを食べることが多かった、、、それは字面だけみると素敵なように思えますが、やっぱり日本の方が良いなぁと思うような微妙な体験でした(笑)

アメリカでのケーキ体験、ケーキ自体の違いや食べ方の違いなど感じたことがあったのでまとめてみようと思います。

 

アメリカのケーキは甘い

アメリカのケーキは日本人からみると色が派手というのは良く言われてネタにされています。さすがにこんなの(アメリカ ケーキ - Google 検索)は食べられないですよね、、、ここまでカラフルなものは僕は食べなかったのですが、色よりも気になったのは味です。とにかく甘い!口に入れるとなんか頭痛がするようなそんな甘さです。甘いだけならよいのですが、味がものすごく単純なんです。どこを食べても、同じ甘さ。なんど食べても、同じ甘さ。日本の美味しいケーキ、コンビニですら買える素晴らしいケーキのような複雑で、クリームやスポンジの甘みがそれぞれ楽しめるような、そんな素敵なケーキではありません。正直美味しくなかったな、まったくもう一度食べたいという代物ではありませんでした。

やっぱり日本のものがなんでも美味しすぎるんですね。むこうで一度、すごくオーガニックな指向のつよいトルコ人の女性が、「私が自分でケーキを焼いてくるわ」と言ってくれてすごく期待したことがありました。「いままでひどいケーキばっかりだったけど、やっと美味しいケーキにありつける!」と思ったのですが、出てきたのがケーキ全体にM&M'sが埋め込まれているあまーいケーキでショックを受けました(笑)。それからは日本のケーキが美味しすぎるだけなんだと思うようにしています。

 

ケーキの食べ方

なにかイベントがあると「ケーキ」でした。同僚の誕生日、送別、そういうときにだれかがホールケーキを買ってきます。「Let's go cake」といわれて、ついていくと「ケーキ」です。カフェテリア(といっても食堂のようなものです)に集まって、ケーキを開けて、食べる。それだけです。この時に「happy birthday」を歌ったり、事前にみんなの予定を聞いて集まれる時間を打ち合わせたりはしません。これはアメリカのパーティー全体に言えることですが、「だらっとしていて気軽」なのです。さすがに夜のパーティーだとみんなの予定を合わせますが、それでもスタートがはっきりしておらず、盛り上がりも明確なものがないのです。乾杯も挨拶もなく時間もアバウトなので、「なんとなく」始まって「おしゃべり」して、「なんとなく」解散です。「ケーキ」も誕生日などあると必ず開かれるので、彼らにとって大切なイベント・習慣なのだと思うのですが、スピーチや歌などのイベントもなく始まって終了します。日本の時間厳守で乾杯から始まって一本締めで終わる歓送迎会に慣れていると拍子抜けしました。

 

良いケーキを買ってこない

これが一番不満でした。同僚だったのはみんな30代以上の良い大人です。なのに、買ってくるのは「whole foods」や「shaw's」といった大手スーパーのホールケーキなんです。僕の感覚だと、30歳くらいになると一応プレゼントになるケーキ等は、家の近くの小洒落た店とか、有名店とかのケーキを選び、「どこどこで見かけて美味しそうだった」だの「こういう特別なケーキで」とかそういうストーリーがあるものであるべきだと思っていました。でも、アメリカでは30代の大人が大手スーパーでケーキを買ってきて、「shaw's」のは意外にうまい、などと品評するのです(whole foodsがヘルシーで高価格路線で、shaw'sは低価格路線のスーパーです)。このイケてなさにはなじめませんでした。これは僕のいたボストンでだけなのかもしれませんが、アメリカでは個人経営の美味しいストーリーのあるケーキ屋が見つけにくいのかもしれません。実際ボストンではそのようなお店はまったく見ませんでした。

 

ケーキは祝われる人がとり分ける

これが一番興味深いことでした。日本の誕生日だと、祝われる人は基本なにもせず、一番に取り分けてもらって、happy birthdayを歌ってもらって、ありがとうと言って、食べる。だとおもうのですが、アメリカでは逆なのです。誰かが買ってきたケーキがボンと置かれると、「さて!」という感じでその日に誕生日で祝われる人が立って、切り分けて、みんなに取り分けてあげて、みんなに行き渡ったら食べる。というふうなのです。同僚にどうしてなのか聞いてみたのですが、「さあ?物心ついた頃からこうだよ?」という返事だったので、アメリカの慣習なのだと思います。

 

アメリカでの「ケーキ」体験はすごく素敵なものではありませんでしたが、こういう体験からも文化の違いが実感できて楽しかったです。

仕事をちょっと1時間くらい抜けて気軽に「ケーキ」とか良いですよね!日本でもそういう習慣をつくりたいなぁ

医者の力は患者さんが引き出す

ibaibabaibai-h.hatenablog.com

ibaibabaibai-h.hatenablog.com

これを読んですごく感動しました。

一過性全健忘という特殊な疾患にかかった方が自分で記録されたことですが、自分でここまで調べて、ここまで詳細にその内容を語れ分析考察できる方は他に知りません。そしてきっちりとゴールデンタイムに画像を取っていて、実行力もすごい。きっと研究者としても一級なのだと思います。

ちょっと心配になったのは、一過性全健忘直後にMRIを取ってT2high、DWIhighのスポット領域の出現を確認しているのだけど、その後それが消失しているのを確認したのか記載がないことですが、、、まあ症状が回復しているから良いのでしょう。

 

僕が感動したのは、ご本人も「プロジェクトXのよう」と言っていますが、その短いtime windowの中で、近親の医療関係者の直接の助けなしにきちんとMRIを適切な条件で撮像しているということです。友人のクリニックで撮像するなどではなく、一般の医療の手続きを踏んだ上できちんと難しい条件を踏まえた撮像が行われています。MRI撮像を決心した翌日に望んだ部位の望んだ条件のMRIがきちんと撮れる。これはご本人の状況を考えると本当に難しいことです。

なぜなら、撮像時点では本人の状況がまったく生死に関わる状況ではなく、症状も全く無かったからです。医療は重症度によってシステムが構築されています。「『今』検査が必要な人には『今』、あとでで良い人にはあとで」という組み分けがされ、それで運営されています。そのために緊急の枠と予約の枠が分けられており、よっぽど緊急でなければ予約の枠に回されます。

一過性全健忘の直後という、id:ibaibabaibai_hさんご本人としてはびっくりすることで医療者としても珍しく興味深いことであったとしても、生死に関わる状態や後遺症が残る状況ではない以上、緊急の人を押しのけて検査が入るのはあまり行われないと思います。もちろん、キャンセルで枠が空いたというラッキーもあったのでしょうが。

そもそも一過性全健忘の診断基準は

1. 発作中の情報が目撃者から得られる
2. 発作中、明らかな前向健忘がある
3. 意識障害はなく、健忘以外の高次脳機能障害はない
4. 発作中、手足の麻痺のような神経学的異常はない
5. てんかんの兆候はない
6. 発作は24時間以内に消失する
7. 最近の頭部打撲やてんかん発作はない

となっており、MRIの所見は全く必要とされていません。MRIは診断基準外でも充分価値のある情報となりますが、今回の事例においては逆にMRIの所見がなかったとしても一過性全健忘を否定することはできません。基本的には診断基準通り症状と状況を確認することのみで診断が行われます。ですので、一人目に診察を受けた医師はその時点で緊急にMRIを撮像できる施設に紹介せずに自費も含めた選択肢の提示をしているのだと思います。

 

医者の力は患者さんが引き出す 

僕は医療人として誇りを持っていますし、基本的に受診してくる患者さんは何かに困って来院してくるわけで 、それをなんとか助けてあげたいと思います。また、医療は当然人の生死に関わる業務で高い倫理観が求められます。なので、医者は他の業種より士気は高く、「最低限やらなければならないこと」の基準が高い業種だとは思います。しかし、医者だって人間です。常に誰にでもフルパワーの限界まで尽くすというわけにも行きません。生死に関わったり後遺症が残ったりしない状況では、「ま、こんなところで落とし所を」と考えて様子を見たりということは良くあります。そういった重大性の薄い状況で医者が精一杯を尽くすかどうかは、やはり医者が「この人を助けてあげたい」と思うかどうかなのだと思います。患者さんが緊急でもない状況でふてくされて来院されても、「ま、大丈夫ですよ、様子見て」と対応することにもなるでしょう。患者さんが協力してくれないのに、一方的に医者側が常にフルパワーで真摯に対応するというのは不可能です。しかし、真の意味で重大性がなくても、患者さんが本当に困っていたり、協力しやすい状況を作ってくれれば、医者も本来のフルパワーを発揮するのではないでしょうか。医療における患者−医者関係はどちらかがどちらかに奉仕したり犠牲になったりするような一方通行のものでは決してなく、双方向のものです。

id:ibaibabaibai_hさんの場合は、きっと受診された先でとても良いプレゼンテーションをされたのだと思います。きちんと医者の興味を引き、変な誇張や嘘が混じることなく、真摯な態度で状況を説明され、担当の先生を「協力してあげたい」という気持ちにさせたのだと思います。だからこそこうやって何人もの医療従事者がibaibabaibai_hさんに協力して、この難しい条件のMRI撮像を成し遂げたのだと思います。

興味深い疾患に、興味深い事例のご報告本当にありがとうございました。

「事務所」と「医局」


blowing in the wind / michale

今回のSMAPの騒動はご本人たちには申し訳ないですが、とても興味深く観察しました。

経緯やジャニーズ事務所の横暴さ、SMAPメンバーの心理等は様々なブログ等でも取り上げられて、いろいろな視点があってどれも面白かったです。

僕個人としては「もうすでにSMAPには名声が充分すぎるほどあるし、自分を偽ってまで事務所に残ること無いんじゃないかなぁ」と思ったのですが、そのあとハッとしました。

僕自身が今現在、医者として医局をやめる決心をしたばっかりなのですが、「医局」って「事務所」と似たような機能を持っていますよね。「医局を離れる僕」と「事務所を離れられないSMAP」という対比に気づいてしまったんです。

医局や事務所といった「組織」はどれも似たような特徴や構造を持っています。その特徴故に離れるのに困難が伴うものなんだと思います。

 

「組織」に所属するメリット

「医局」や「事務所」といった組織に所属するメリットってどういうものがあるのでしょうか。

こういった組織は人を派遣する機能を持っています。強い医局や事務所は良い職場をおさえています。ですので、強い医局や事務所に所属すると良い職場に派遣してもらえます。これが一番大きなメリットでしょう。「良い職場」とは給料がよく、やりがいがあって、職場環境が良く、あわよくば名声も得られるような職場です。また、組織が職場をあてがってくれるため、そういった職場を自分で探す必要が無いというメリットがあります。また、組織のバックがあるので、自分の実力以上の職場につくことも出来るかもしれません。

「組織」に所属するデメリット

やはり「上前をはねられる」ことでしょうか。芸能事務所の場合、芸能人が独立すると収入が激増すると良く言われます。医局ではそういうことはありませんが、医局からどこかの病院に派遣される際に給料が安めということはあるかもしれません。

また、「望まぬ職場に派遣される」というリスクも有ります。芸能人では恥ずかしい仕事があるかもしれませんし、医師だと激務で薄給の職場で数年仕事をしなければならないかもしれません。

 

逆に所属しない場合では、上記の逆で、「仕事を自分で探さなければならないけど、好きなことだけできるし、うまくいけば収入も高くなる」というメリット・デメリットがあります。

基本的にこういうことを天秤にかけて組織に所属するしないを決めれば良いと思うのですが、SMAPの場合、これだけでああいう結果になったのではないように感じます。

 

組織が出来ると「組織を保つための力」が生まれる

本来であれば人を派遣するしないの機能を持つ組織なので、良い職場に人を沢山派遣できる組織が生き残ってそうでない組織からは人がどんどんやめていけば良いだけになります。でも、実際に組織に所属すると様々な理不尽に付き合わなければならなくなりますし、良い意味でも悪い意味でも本来の目的の良い職場への派遣以外のことも増えてきます。

1. 所属すること自体が目的になる

ジャニーズ事務所に所属するということは、オーディションに受かることも必要でしょうし、大変なことです。ですので、所属しているというだけでプライドがある程度満たされることになります。僕も卒業した大学の医局で、母校愛もあって所属することで満たされるものもありました。また、長く所属すると人と人とのつながりもできるので、徐々に愛着がわくのは人としても当然のことでしょう。こうして所属することだけで満足して、理不尽に耐えるような人が出てきます。これは組織自体の「魅力」なので基本的には良い力だと思います。

2. 所属を離れることに罰が出来る

「脱退したら仕事させないぞ」というやつです。組織を離れていく人に対して、組織が業界に働きかけてその後の仕事を得られないようにするというという圧力です。医局も昔は教授が周囲の医師会などに働きかけて脱退者の開業したクリニックを冷遇するということがあったようですが、さすがにその力は医局からは失われています。しかし、芸能界ではまだまだ事務所の「干す」力は強いようで、今回のSMAPの件でもまことしやかにそのような脅しがあったなどと語られていました。これは理不尽の代表のようなもので悪い力だと思います。

 

「罰」があるというのは幻想

さて、組織に所属するメリット・デメリットおよび組織の所属が創りだす陰陽の力について書きましたが、組織の所属が創りだす力というのは基本的に「イメージ」でできているので幻想です。所属する構成員や周囲の人達が「所属する価値がある」と勝手に思ったり、「やめたらば罰がある」と思ったりすることで作られていくものです。「罰」などは法律的な根拠があるわけでもないので、本来は無視してしまえば良いはずのものです。そもそも職場がありお金を生んでいるのは業界の方なので、仕事を斡旋しているだけの組織のほうが力が上になるというのも本来はおかしな話です。

なので、組織の構成員の大半が示し合わせてやめてしまえば組織の力自体が急速に落ちるわけなので結局罰を与えることができなくなってしまいますし、業界が示し合わせてその組織からの命令を無視して脱退した人たちを使い続ければそれで済む話だと思います。

今回、SMAPジャニーズ事務所をやめられなかったのは、その幻想を結局打ち破れなかったということなのでしょう。SMAP自体がすでに充分すぎるほどのブランドであり、事務所に所属しなかったからといって今後の仕事に大きな影響があるとは思えませんし、給料単価も上がるのではないでしょうか。また、あの会見の苦渋の表情を見ると事務所に対して愛着を今も感じているとは思いにくいです。(SMAP5人の意見が揃わず解散しなければならないという「SMAP」というチームに対する愛着はあるかもしれませんが) では、なぜSMAPはやめられなかったのかというと、やめた後に仕事が充分にもらえないのではないかという不安があったのだと思います。しかし、それは事務所が創りだした「幻想」であり、SMAPほどの存在感があれば打ち破れたのではないかと僕は感じています。

 

「組織」は本来の魅力で勝負すべき

こういう状況が起こった事自体ジャニーズ事務所の力が落ちてきていることが疑われますが、SMAPを引き止めるときに「離れた時の罰」という幻想でしか引き止められなかったことは組織としての魅力が落ちていることを示しています。もう一度「なぜジャニーズ事務所は人気なのか」ということを問いなおして、所属するメリットをさらに大きくして立て直していって欲しいと思います。「やめたら怖いよ」だけだったら、組織の種類としてはまるで○クザの事務所じゃないですか。

僕の所属する医局は、都心にあり、派遣先はまあまあで、医局員たちは飛び抜けた人はいませんが粒ぞろいです。しかし、徐々に力が落ちて新入医局員が減ってきて、派遣先を維持するのがやっとになってきています。余裕がなく人が育てられず、学会等で発言力のある人は皆無です。徐々に「幻想」が解け、所属することの喜びや離れることへの恐怖感も減少しています。願わくば僕の所属する医局もまた本来の「所属するメリット」の見つめなおしをして、立ち直っていってほしいと思います。