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cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんか

ボストン留学帰りの精神科医。自転車好き。

築地の移転問題からみるオリンピックの必要性


Olympic Rings / Oliver E Hopkins

東京オリンピック、徐々に話が現実化してきましたね。2020年といえばあと4年!今年ブラジルのリオデジャネイロで開催されて、その次です。

石原慎太郎前都知事が強力に推進して開催に立候補、この時から様々な議論がされていて、本当に東京での開催が必要なのかという疑問が常に呈されてきました。

今回滝川クリステルさんのすばらしい「おもてなし」スピーチで東京に決まりましたが、招致をがんばっていた猪瀬直樹東京都知事が不透明な借入金問題で辞職され、ザハ・ハディッドさんのデザインの競技場が建設費の高騰で白紙になり、佐野研二郎さんのデザインのエンブレムがパクリ問題で白紙になりました。こんなに始まる前からモメるのもなかなかないことではないでしょうか。

僕は東京に住んでいることもあって、石原都知事のオリンピック招致の話がでたころからあまりオリンピック開催に前向きな気持ちはありませんでした。「すごく混んで通勤が大変になるよ、、、」というツマラナイ理由です。しかし、オリンピック招致派のいうことも一定には理解出来るという立場でした。

オリンピック招致派は多くはオリンピックを招致する理由として

1. たくさんの人がオリンピックを見に来て経済効果がある

2. 首都高やその他の老朽化したインフラの再開発ができる

という理由を挙げます。「オリンピックでお金が稼げるし、準備のためにお金使わなきゃだけど使った分のインフラはオリンピック後も使える」というやつです。それぞれに「本当は経済効果なんかない」などなどの反論はあるのでしょうが、僕はおおむね理解出来る理由だと思っていました。なので、東京が一時期混むのが嫌だけど、まあ「しょうがないかな」というぐらいの消極的な姿勢でオリンピックに賛成していました。しかし、友人と築地の移転問題について話していた時に、「あ、これはオリンピックやるほうがいいんだ」と思い直したので、その理由を書いておきます。

 

友人から聞いた築地卸売市場の移転問題

築地卸売市場は「施設が老朽化」していて「衛生管理が困難」なので現状のままでは継続が困難だが、「あちこち複雑に建増しなどしているので細かく修復することができない」ので「移転が必要」だということです。これが移転が必要な理由とされています。

僕はこれまで、「政府は移転を推進しているが、卸売市場のひとは築地にとどまりたがっている」と理解していたのですが、どうもそうではないようです。友人が言うには「上記の理由は市場を利用する人みんなが理解している。みんな移転の必要性はわかっているんだけれども、そのタイミングやどこに移転するかでこれまで話が決まらなかった」ということだそうなのです。築地に住むが直接は築地卸売市場で勤めているわけではない友人の話です。もしかすると不正確かもしれません。しかし、これを聞いて「あ、オリンピックって必要なんだ」と僕は思いました。

 

全員を納得させる方法はない

結局、オリンピックなどの「どうしようもなく来てしまうイベント」がないと物事が決められないということだと思います。世の中には総論賛成各論反対で「やらなきゃいけないのはわかっているのに前に進められないこと」が数多くあります。築地卸売市場をここで例にとりましたが、首都高でも「工事にすると一時通行止めになって大変だから」などの理由で老朽化したままビクビクしながら使っているところもあるかもしれません。全員を納得させる形で物事が進められることは、インフラや再開発のような大きな事業になると不可能です。おそらく東京中に全員が納得出来る形が取れないからそのままの不便な形で取り残されているところがあると思います。

今回のオリンピックでは「もうオリンピックきちゃうから、完璧じゃなくても全員が納得しなくても決めてしまおう!」とそういったところにメスを入れることができるかもしれません。こういった定期的に来てしまう大きなイベントは物事を決めるのに必要なのではないかと思いました。オリンピックというお祭りは、世界的なイベントでブランド力があり、世界中から人が来るので「おもてなし」として素晴らしいものにしたいと当然みんな思います。そういうみんなが同じ方向をむいた状態を利用することで、各論反対を閉じ込めて東京の大きなリモデリングがなされるのかもしれません。僕はそれも必要なことだと思いました。そのなかで押しつぶされる小さな不幸が多くならないように願うばかりです。

アメリカでの「ケーキ」の食べ方


Chocolate Carrot Cake / Chocolate-Dessert-Recipes.com

3年間の留学生活から日本に帰ってきて美味しいケーキをときどき楽しんでいます。

先日は妻の誕生日で、近所の有名なケーキ屋さんで4号のちっちゃなケーキを買ってきて美味しく食べました。日本のケーキは本当に美味しい。しっとりとしていて、スポンジやフルーツ、クリームもフレッシュで、すごく複雑な味がします。それでふと思い出したのですが、アメリカにいたときはもっとケーキを食べる機会がたくさんあったように思いました。なにかにつけてアメリカで同僚に誘われて、職場のカフェテリアでケーキを食べることが多かった、、、それは字面だけみると素敵なように思えますが、やっぱり日本の方が良いなぁと思うような微妙な体験でした(笑)

アメリカでのケーキ体験、ケーキ自体の違いや食べ方の違いなど感じたことがあったのでまとめてみようと思います。

 

アメリカのケーキは甘い

アメリカのケーキは日本人からみると色が派手というのは良く言われてネタにされています。さすがにこんなの(アメリカ ケーキ - Google 検索)は食べられないですよね、、、ここまでカラフルなものは僕は食べなかったのですが、色よりも気になったのは味です。とにかく甘い!口に入れるとなんか頭痛がするようなそんな甘さです。甘いだけならよいのですが、味がものすごく単純なんです。どこを食べても、同じ甘さ。なんど食べても、同じ甘さ。日本の美味しいケーキ、コンビニですら買える素晴らしいケーキのような複雑で、クリームやスポンジの甘みがそれぞれ楽しめるような、そんな素敵なケーキではありません。正直美味しくなかったな、まったくもう一度食べたいという代物ではありませんでした。

やっぱり日本のものがなんでも美味しすぎるんですね。むこうで一度、すごくオーガニックな指向のつよいトルコ人の女性が、「私が自分でケーキを焼いてくるわ」と言ってくれてすごく期待したことがありました。「いままでひどいケーキばっかりだったけど、やっと美味しいケーキにありつける!」と思ったのですが、出てきたのがケーキ全体にM&M'sが埋め込まれているあまーいケーキでショックを受けました(笑)。それからは日本のケーキが美味しすぎるだけなんだと思うようにしています。

 

ケーキの食べ方

なにかイベントがあると「ケーキ」でした。同僚の誕生日、送別、そういうときにだれかがホールケーキを買ってきます。「Let's go cake」といわれて、ついていくと「ケーキ」です。カフェテリア(といっても食堂のようなものです)に集まって、ケーキを開けて、食べる。それだけです。この時に「happy birthday」を歌ったり、事前にみんなの予定を聞いて集まれる時間を打ち合わせたりはしません。これはアメリカのパーティー全体に言えることですが、「だらっとしていて気軽」なのです。さすがに夜のパーティーだとみんなの予定を合わせますが、それでもスタートがはっきりしておらず、盛り上がりも明確なものがないのです。乾杯も挨拶もなく時間もアバウトなので、「なんとなく」始まって「おしゃべり」して、「なんとなく」解散です。「ケーキ」も誕生日などあると必ず開かれるので、彼らにとって大切なイベント・習慣なのだと思うのですが、スピーチや歌などのイベントもなく始まって終了します。日本の時間厳守で乾杯から始まって一本締めで終わる歓送迎会に慣れていると拍子抜けしました。

 

良いケーキを買ってこない

これが一番不満でした。同僚だったのはみんな30代以上の良い大人です。なのに、買ってくるのは「whole foods」や「shaw's」といった大手スーパーのホールケーキなんです。僕の感覚だと、30歳くらいになると一応プレゼントになるケーキ等は、家の近くの小洒落た店とか、有名店とかのケーキを選び、「どこどこで見かけて美味しそうだった」だの「こういう特別なケーキで」とかそういうストーリーがあるものであるべきだと思っていました。でも、アメリカでは30代の大人が大手スーパーでケーキを買ってきて、「shaw's」のは意外にうまい、などと品評するのです(whole foodsがヘルシーで高価格路線で、shaw'sは低価格路線のスーパーです)。このイケてなさにはなじめませんでした。これは僕のいたボストンでだけなのかもしれませんが、アメリカでは個人経営の美味しいストーリーのあるケーキ屋が見つけにくいのかもしれません。実際ボストンではそのようなお店はまったく見ませんでした。

 

ケーキは祝われる人がとり分ける

これが一番興味深いことでした。日本の誕生日だと、祝われる人は基本なにもせず、一番に取り分けてもらって、happy birthdayを歌ってもらって、ありがとうと言って、食べる。だとおもうのですが、アメリカでは逆なのです。誰かが買ってきたケーキがボンと置かれると、「さて!」という感じでその日に誕生日で祝われる人が立って、切り分けて、みんなに取り分けてあげて、みんなに行き渡ったら食べる。というふうなのです。同僚にどうしてなのか聞いてみたのですが、「さあ?物心ついた頃からこうだよ?」という返事だったので、アメリカの慣習なのだと思います。

 

アメリカでの「ケーキ」体験はすごく素敵なものではありませんでしたが、こういう体験からも文化の違いが実感できて楽しかったです。

仕事をちょっと1時間くらい抜けて気軽に「ケーキ」とか良いですよね!日本でもそういう習慣をつくりたいなぁ

クリニックのサイト作りで、隣町までを対象にして検索対策をしたい


Future Bangkok MRT Map (printed) / Oran Viriyincy

開業するクリニックの宣伝戦略

以前、開業を考えているというお話をしました。現在、メンタルクリニックを開設することを計画しています。そして、クリニック経営のことを調べるにつれて、クリニックの経営には宣伝も必要なのだなということを理解して、宣伝方法を考えています。なんか医療で宣伝を考えるというのはアヤシゲにも思えてしまうのですが、クリニックの存在自体を知ってもらわないとどうしようもないので、やらざるを得ません。医療広告は医療法にて厳しく規制されています。なので、出来ることは限られているのですが、その中で様々な医療機関がしのぎを削っています。

宣伝するにはまず宣伝する相手をきめなければならないのですが、これが難しい。僕は医者としてはどっちかというと、「なんでもある程度出来る」タイプなので、宣伝相手を絞るのが難しいんですね。ただ、幅広く人並み以上には出来ると思うので、逆に考えると絞らずうまくやれば幅広く患者さんを集められるかなーとも思います。そして、幅広く集めるなら、看板等ではなく、やっぱりインターネットでしょう。

そこで、クリニックのサイトを友人に作ってもらうことにしました。もちろん、地元のメンタルクリニックを探している患者さんに見つけてもらいたいので、「駅名+メンタルクリニック」でgoogle検索が一番になることを目指したいと思いました。でも、それだけじゃなくて、まわりの駅からも患者さんが来てもらえるようになれば最高です。クリニック予定地はハブ駅の駅前で本当に便利なところにあります。交通至便なので、近隣の駅からも患者さんに来てもらえると思います。なので、「クリニックのある駅の隣の駅名+メンタルクリニック」の検索でもある程度上位に来てほしいと思っていろいろ考え始めました。

ですが、、これ、、、難しいですね。

 

クリニックホームページ作成と地域を広く取った検索対策の難しさ

検索対策についてどこを調べても、今はリンクを買ったりキーワードをこっそり埋め込んだりするより「サイトの情報量を上げてアクセスする人が必要としている情報を提供することが検索対策において重要」とあるんですが、これを医療でやるのは簡単ではないと思います。医療って前も書いたと思いますが、すごく知識が平準化されていて個々の構成員のモチベーションが高く、啓蒙が重視されている領域なのです。なので、効果があるかどうかわからない突飛な治療とか特殊な病気について以外はどこも似たり寄ったりの情報を提供するものにならざるを得ませんし、ちゃんとしたクリティカルな情報についてはたいていテンションの高い啓蒙家がすでに素敵な情報サイトを作り上げています。「突飛じゃないまともな情報のみを載せて、他より役立つサイトを作る」なんてもう殆ど無理だと感じます。だから全国レベルで検索上位になるサイトを作るのはちょっと非現実的です。

クリニックの宣伝なので、全国レベルで検索上位は目指す必要はないのですが、目標のクリニックのある駅の隣町までを検索対策の対象にするというのもなかなかに難しいです。「クリニックのある駅の隣の駅名+メンタルクリニック」での検索で上位表示させる、、、どういう方法を取ったらいいのか見当がつかないですね。医療では、「地元の食材」とかみたいなローカル性が打ち出しにくいので、隣町までをローカルと捉えてアピールするという手法もとりにくいです。医療情報を書くのにその中に隣町の駅名をキーワードとして自然に入れるのが難しい。。。ブログのようなものをサイトに付属につけて、となり町のニュースを話題にするのがよいのでしょうか?、、、なんとも効果が疑わしいです。クリニックを開く土地+メンタルクリニックで検索上位になるのはある程度できる気がしますけど、それ以上の、「クリニックのある駅の隣の駅名+メンタルクリニック」での検索についてはどうすればいいのか全然思いつきませんね。

google adwordsでとなり町の名前+メンタルクリニックで宣伝を出すしか無いのかもしれません。

なにか良い案がある方は教えて下さい。

 

 

 

医者の力は患者さんが引き出す

ibaibabaibai-h.hatenablog.com

ibaibabaibai-h.hatenablog.com

これを読んですごく感動しました。

一過性全健忘という特殊な疾患にかかった方が自分で記録されたことですが、自分でここまで調べて、ここまで詳細にその内容を語れ分析考察できる方は他に知りません。そしてきっちりとゴールデンタイムに画像を取っていて、実行力もすごい。きっと研究者としても一級なのだと思います。

ちょっと心配になったのは、一過性全健忘直後にMRIを取ってT2high、DWIhighのスポット領域の出現を確認しているのだけど、その後それが消失しているのを確認したのか記載がないことですが、、、まあ症状が回復しているから良いのでしょう。

 

僕が感動したのは、ご本人も「プロジェクトXのよう」と言っていますが、その短いtime windowの中で、近親の医療関係者の直接の助けなしにきちんとMRIを適切な条件で撮像しているということです。友人のクリニックで撮像するなどではなく、一般の医療の手続きを踏んだ上できちんと難しい条件を踏まえた撮像が行われています。MRI撮像を決心した翌日に望んだ部位の望んだ条件のMRIがきちんと撮れる。これはご本人の状況を考えると本当に難しいことです。

なぜなら、撮像時点では本人の状況がまったく生死に関わる状況ではなく、症状も全く無かったからです。医療は重症度によってシステムが構築されています。「『今』検査が必要な人には『今』、あとでで良い人にはあとで」という組み分けがされ、それで運営されています。そのために緊急の枠と予約の枠が分けられており、よっぽど緊急でなければ予約の枠に回されます。

一過性全健忘の直後という、id:ibaibabaibai_hさんご本人としてはびっくりすることで医療者としても珍しく興味深いことであったとしても、生死に関わる状態や後遺症が残る状況ではない以上、緊急の人を押しのけて検査が入るのはあまり行われないと思います。もちろん、キャンセルで枠が空いたというラッキーもあったのでしょうが。

そもそも一過性全健忘の診断基準は

1. 発作中の情報が目撃者から得られる
2. 発作中、明らかな前向健忘がある
3. 意識障害はなく、健忘以外の高次脳機能障害はない
4. 発作中、手足の麻痺のような神経学的異常はない
5. てんかんの兆候はない
6. 発作は24時間以内に消失する
7. 最近の頭部打撲やてんかん発作はない

となっており、MRIの所見は全く必要とされていません。MRIは診断基準外でも充分価値のある情報となりますが、今回の事例においては逆にMRIの所見がなかったとしても一過性全健忘を否定することはできません。基本的には診断基準通り症状と状況を確認することのみで診断が行われます。ですので、一人目に診察を受けた医師はその時点で緊急にMRIを撮像できる施設に紹介せずに自費も含めた選択肢の提示をしているのだと思います。

 

医者の力は患者さんが引き出す 

僕は医療人として誇りを持っていますし、基本的に受診してくる患者さんは何かに困って来院してくるわけで 、それをなんとか助けてあげたいと思います。また、医療は当然人の生死に関わる業務で高い倫理観が求められます。なので、医者は他の業種より士気は高く、「最低限やらなければならないこと」の基準が高い業種だとは思います。しかし、医者だって人間です。常に誰にでもフルパワーの限界まで尽くすというわけにも行きません。生死に関わったり後遺症が残ったりしない状況では、「ま、こんなところで落とし所を」と考えて様子を見たりということは良くあります。そういった重大性の薄い状況で医者が精一杯を尽くすかどうかは、やはり医者が「この人を助けてあげたい」と思うかどうかなのだと思います。患者さんが緊急でもない状況でふてくされて来院されても、「ま、大丈夫ですよ、様子見て」と対応することにもなるでしょう。患者さんが協力してくれないのに、一方的に医者側が常にフルパワーで真摯に対応するというのは不可能です。しかし、真の意味で重大性がなくても、患者さんが本当に困っていたり、協力しやすい状況を作ってくれれば、医者も本来のフルパワーを発揮するのではないでしょうか。医療における患者−医者関係はどちらかがどちらかに奉仕したり犠牲になったりするような一方通行のものでは決してなく、双方向のものです。

id:ibaibabaibai_hさんの場合は、きっと受診された先でとても良いプレゼンテーションをされたのだと思います。きちんと医者の興味を引き、変な誇張や嘘が混じることなく、真摯な態度で状況を説明され、担当の先生を「協力してあげたい」という気持ちにさせたのだと思います。だからこそこうやって何人もの医療従事者がibaibabaibai_hさんに協力して、この難しい条件のMRI撮像を成し遂げたのだと思います。

興味深い疾患に、興味深い事例のご報告本当にありがとうございました。

「事務所」と「医局」


blowing in the wind / michale

今回のSMAPの騒動はご本人たちには申し訳ないですが、とても興味深く観察しました。

経緯やジャニーズ事務所の横暴さ、SMAPメンバーの心理等は様々なブログ等でも取り上げられて、いろいろな視点があってどれも面白かったです。

僕個人としては「もうすでにSMAPには名声が充分すぎるほどあるし、自分を偽ってまで事務所に残ること無いんじゃないかなぁ」と思ったのですが、そのあとハッとしました。

僕自身が今現在、医者として医局をやめる決心をしたばっかりなのですが、「医局」って「事務所」と似たような機能を持っていますよね。「医局を離れる僕」と「事務所を離れられないSMAP」という対比に気づいてしまったんです。

医局や事務所といった「組織」はどれも似たような特徴や構造を持っています。その特徴故に離れるのに困難が伴うものなんだと思います。

 

「組織」に所属するメリット

「医局」や「事務所」といった組織に所属するメリットってどういうものがあるのでしょうか。

こういった組織は人を派遣する機能を持っています。強い医局や事務所は良い職場をおさえています。ですので、強い医局や事務所に所属すると良い職場に派遣してもらえます。これが一番大きなメリットでしょう。「良い職場」とは給料がよく、やりがいがあって、職場環境が良く、あわよくば名声も得られるような職場です。また、組織が職場をあてがってくれるため、そういった職場を自分で探す必要が無いというメリットがあります。また、組織のバックがあるので、自分の実力以上の職場につくことも出来るかもしれません。

「組織」に所属するデメリット

やはり「上前をはねられる」ことでしょうか。芸能事務所の場合、芸能人が独立すると収入が激増すると良く言われます。医局ではそういうことはありませんが、医局からどこかの病院に派遣される際に給料が安めということはあるかもしれません。

また、「望まぬ職場に派遣される」というリスクも有ります。芸能人では恥ずかしい仕事があるかもしれませんし、医師だと激務で薄給の職場で数年仕事をしなければならないかもしれません。

 

逆に所属しない場合では、上記の逆で、「仕事を自分で探さなければならないけど、好きなことだけできるし、うまくいけば収入も高くなる」というメリット・デメリットがあります。

基本的にこういうことを天秤にかけて組織に所属するしないを決めれば良いと思うのですが、SMAPの場合、これだけでああいう結果になったのではないように感じます。

 

組織が出来ると「組織を保つための力」が生まれる

本来であれば人を派遣するしないの機能を持つ組織なので、良い職場に人を沢山派遣できる組織が生き残ってそうでない組織からは人がどんどんやめていけば良いだけになります。でも、実際に組織に所属すると様々な理不尽に付き合わなければならなくなりますし、良い意味でも悪い意味でも本来の目的の良い職場への派遣以外のことも増えてきます。

1. 所属すること自体が目的になる

ジャニーズ事務所に所属するということは、オーディションに受かることも必要でしょうし、大変なことです。ですので、所属しているというだけでプライドがある程度満たされることになります。僕も卒業した大学の医局で、母校愛もあって所属することで満たされるものもありました。また、長く所属すると人と人とのつながりもできるので、徐々に愛着がわくのは人としても当然のことでしょう。こうして所属することだけで満足して、理不尽に耐えるような人が出てきます。これは組織自体の「魅力」なので基本的には良い力だと思います。

2. 所属を離れることに罰が出来る

「脱退したら仕事させないぞ」というやつです。組織を離れていく人に対して、組織が業界に働きかけてその後の仕事を得られないようにするというという圧力です。医局も昔は教授が周囲の医師会などに働きかけて脱退者の開業したクリニックを冷遇するということがあったようですが、さすがにその力は医局からは失われています。しかし、芸能界ではまだまだ事務所の「干す」力は強いようで、今回のSMAPの件でもまことしやかにそのような脅しがあったなどと語られていました。これは理不尽の代表のようなもので悪い力だと思います。

 

「罰」があるというのは幻想

さて、組織に所属するメリット・デメリットおよび組織の所属が創りだす陰陽の力について書きましたが、組織の所属が創りだす力というのは基本的に「イメージ」でできているので幻想です。所属する構成員や周囲の人達が「所属する価値がある」と勝手に思ったり、「やめたらば罰がある」と思ったりすることで作られていくものです。「罰」などは法律的な根拠があるわけでもないので、本来は無視してしまえば良いはずのものです。そもそも職場がありお金を生んでいるのは業界の方なので、仕事を斡旋しているだけの組織のほうが力が上になるというのも本来はおかしな話です。

なので、組織の構成員の大半が示し合わせてやめてしまえば組織の力自体が急速に落ちるわけなので結局罰を与えることができなくなってしまいますし、業界が示し合わせてその組織からの命令を無視して脱退した人たちを使い続ければそれで済む話だと思います。

今回、SMAPジャニーズ事務所をやめられなかったのは、その幻想を結局打ち破れなかったということなのでしょう。SMAP自体がすでに充分すぎるほどのブランドであり、事務所に所属しなかったからといって今後の仕事に大きな影響があるとは思えませんし、給料単価も上がるのではないでしょうか。また、あの会見の苦渋の表情を見ると事務所に対して愛着を今も感じているとは思いにくいです。(SMAP5人の意見が揃わず解散しなければならないという「SMAP」というチームに対する愛着はあるかもしれませんが) では、なぜSMAPはやめられなかったのかというと、やめた後に仕事が充分にもらえないのではないかという不安があったのだと思います。しかし、それは事務所が創りだした「幻想」であり、SMAPほどの存在感があれば打ち破れたのではないかと僕は感じています。

 

「組織」は本来の魅力で勝負すべき

こういう状況が起こった事自体ジャニーズ事務所の力が落ちてきていることが疑われますが、SMAPを引き止めるときに「離れた時の罰」という幻想でしか引き止められなかったことは組織としての魅力が落ちていることを示しています。もう一度「なぜジャニーズ事務所は人気なのか」ということを問いなおして、所属するメリットをさらに大きくして立て直していって欲しいと思います。「やめたら怖いよ」だけだったら、組織の種類としてはまるで○クザの事務所じゃないですか。

僕の所属する医局は、都心にあり、派遣先はまあまあで、医局員たちは飛び抜けた人はいませんが粒ぞろいです。しかし、徐々に力が落ちて新入医局員が減ってきて、派遣先を維持するのがやっとになってきています。余裕がなく人が育てられず、学会等で発言力のある人は皆無です。徐々に「幻想」が解け、所属することの喜びや離れることへの恐怖感も減少しています。願わくば僕の所属する医局もまた本来の「所属するメリット」の見つめなおしをして、立ち直っていってほしいと思います。

 

 

 

生活に割く精神的リソースを小さくしたい(反ミニマリスト)

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生活に割くリソースを小さくしたい、と最近思います。反ミニマリストと書きましたが、「生活に割く精神リソースミニマリズム」です。

以前、ミニマリストについて

ミニマリストは「わかって」ないと無理 - cyciatrist 自転車と精神科医療とあとなんかというエントリを書きました。

この中で、ミニマリストはモノを「これは要らない」と捨てていく生活なだけではなく、「これは残すべき、良い物である」とモノを選び取っていく生活でもある、と考察しました。しかし、これは常に意識して生活するのは結構大変そうです。

ミニマリストさんたちのようなシンプルで少ないモノに囲まれて生きることに憧れがあるのは事実です。が、そのような生活を維持するのにはとてもエネルギーが要りそうです。

 

質の良い生活もしたいけど、生活以外のことも目一杯したい

ミニマリストさんたちは「生活」をとてもよく見つめ、考え、実行して生きていると思います。でも、僕は生活だけじゃなくて、仕事や遊びや趣味なども目一杯楽しみたいと思っていますし、その中で何かを実現したいと考えています。

もちろん、ミニマリスト的な生き方と仕事等は両立しうるものです。別にミニマリストになったからといって仕事ができなくなるわけではありません。遊びに行くことができなくなるわけでもありません。ただ、ちょっと不便になるだけだと思います。僕はそのちょっとの不便さにとても抵抗感があります。生活の細々したところに少しずつ感じる不便感、そういうものがあると徐々に生活以外に向ける精神的リソースが減ってくるんじゃないかと不安になるのです。目一杯に仕事や遊びにエネルギーを使いたいのに、生活がちょっと不便で気を取られてしまうんじゃないかと不安になります。

 

ミニマリストは絶対エネルギーを使うと思う

今はモノについてはとても便利な時代です。すぐそこにコンビニがあって深夜まで何かを買いに行けますし、クリック一つで通販会社が家までモノを送り届けてくれます。モノ自体も考え抜かれて作られており、やりたい作業に最適化されたモノがすぐに見つかります。また、よくデザインされて所有欲を満たすモノが沢山あります。なので、簡単に身の回りは便利なモノにあふれてしまいます。

この中で、身の回りにあるモノを少なく保とうとするのはとてもエネルギーがいることだと思います。「あ、あれがあったら便利なのに」「これ持っとくといついつに使えそう」などと思うのをぐっと我慢して、「うちにあるあれはあれとあれに使えるから、この道具はいらないな」などと毎回考えないといけないというのはなかなかに大変なのではないでしょうか。「これは要らない」と捨てていくだけならまだ自分のエネルギーでやれそうですが、「これは残すべき、良い物である」と何かの折に毎回モノを選び取っていく生活は、おそらく常にエネルギーを必要とされる生活に違いありません。その生活をした上で仕事、遊びに全力投球は僕には大変な気がします。

生活をシンプルに保つために恒常的に精神的なリソースが取られるのは苦痛です。

 

ミニマリストは生活をとても良く見据えて生活していると思うのですが、それをやるにはとても大きなエネルギーが必要で、やっぱり他のことが犠牲になってしまうのではないでしょうか。僕はミニマリストに憧れながらも、好きなものを好きなように買って便利に使い、生活に割く精神的なリソース、エネルギーを少なく保って、生活以外をなるべく目一杯に楽しもうと思います。

*1:Patrik Nygren

医者になるのか悩むこともありますよね

2周ほど乗り遅れました。

医学部在籍だけど医者になることに悩んでいるというこの増田を読み、

anond.hatelabo.jp

これに対するセンパイ医師達の「オトナの意見」を読みました

p-shirokuma.hatenadiary.com

fujipon.hatenablog.com

ま、そうですよね。僕も医者やってますが、「医者にならないほうがいい」とはさすがに言えないです。

 

このセンパイ医師達からの「大人の意見」にはほとんど医者になることのメリットが網羅されています。

医者は

「強い資格」で「収入が高い」ので「食べるのに困ることはない」こと。また、「好きな働き方が選べる」こと。

「社会的に高い地位」があり「尊敬される」ので「モテる」こと。

「高収入で高地位」なので「道楽に力を入れられる」こと。また、「別の仕事の土台に出来る」こと。

「科学的にも先端」なので、「学術的な発展」もある「豊穣な世界」であること。

などです。医者、最高ですね。

 

医師という仕事のデメリットとしては、

「一人前になるまでに時間が掛かる」「何も考えずに働いていると激務になる」「責任が重い」

といったところでしょうか。

僕は友人の多くが医師なので、正直これらがデメリットなのかよくわからないんですよね。他の業界がどれだけ一人前になるまで時間がかかるかとか、激務なのかとか、責任が重いのかとか比較できないので、「どれだけ医者がほかのしごとと比べて大変か」というのがよくわかりません。実はあんまりかわらないんじゃないかとも思ったりします。

 

ということで、リンクのセンパイ達や僕の意見を総合すると「医者はちょっと大変だけど、なっとくとお得だからなっとけよ。その後考えな」ということになります。

でも、多分これは増田もわかってて、その上で言ってることなんだとも思うんですよね。多分増田にとっては「エンジニアになる」ということが質的に異なる意味を持っていて、いくら医師が渡世に便利でメリットを言われても「オトナはそう言うし、それはわかるけど、でもエンジニアになりたい」と考えるだけなんだと思います。

そんな増田に僕らが話せるのは「オトナの意見」だけです。でも、そんなオトナの意見では増田の「打算」は動かせても「本当の気持ち」は動かせないんでしょうね。増田が本当に自分が満足できる選択をすることを願っています。

 

さて、以下は引用した記事になかった僕の考える医者であることのメリットです。

「モラトリアムが長い」:僕自身が4年制大学で就職していたら完全に潰れていたと思いますね。21歳で就職活動とか、想像つかないです。21歳のころの自分を考えると幼すぎて一般社会に出たらすぐに潰されていたと思いますね。面接官に生意気なこととか言って内定とかもらえなかったと思います。6年間の学生が終わって、24歳くらいで研修医が始まって、それでも庇護的に扱われて、26歳くらいでやっとまともに仕事ができるだけの人格になったと思います。それだけの時間がもらえて良かった。

「役割や目的がはっきりしている」:医者という仕事は面倒なことも多いのですが、単純なこともあります。それは「目の前の患者さんの病気を良くしたい」という姿勢、気持ちがどこでいつ医者をやっても変わらないことです。いい加減な医者や能力の低い医者はいくらでも見たことはありますが、「患者さんの病気を悪くしたい」と思って仕事をしている医者は一人も見たことがありません。この、自分の役割や仕事の目的及び目標がブレずにすむのは本当に幸せな仕事だと思います。

 

また、あまり実例がなかったので、医者になった後にエンジニア的な仕事で実績を上げたもっとも良い例として放射線科の松田博史先生を提示しておきます。

松田博史先生はMRIにおいて脳神経線維の描出を可能にした拡散テンソル、SPECTにおいて一般健常人との統計学的比較を可能にしたe-ZISMRIにおいてアルツハイマー認知症の海馬萎縮を統計学的に検出可能にしたVSRADなどの開発で著名です。

放射線科はエンジニア的な仕事が多数行われている分野です。医者ではないですが、僕の友人はMRIでの心臓の描出のソフトウェアを開発しています。(動くものをMRIで捉えるのは技術的に非常に困難で、ずっと動きつづけている心臓をMRIで捉えるのは挑戦的な分野です) 

また、知人は自分で遠隔で放射線画像を送受信できるシステムを開発し、それでベンチャーを立ち上げて、放射線画像の遠隔読影の会社を運営しています。

言うまでもなくiPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥先生も医師であり、「エンジニア的」と言ってもいい仕事だと思います。

超音波検査の基礎を作ったのも日本人の脳外科医だと聞いたことがあります。こういった放射線系の検査機器や方法はエンジニア的知識・技術が活かされる分野と思います。

 

また、精神科医で脳科学に携わるものとしては、エンジニア的な能力が今後の脳科学にはとても必要だと考えているので、エンジニア的思考のある人が医者になって、精神科医になって、その能力を脳科学の研究に活かしてもらいたいと思います。

人間を生体として扱えるのは医者の特権です。いくらエンジニア的な仕事を突き詰めても生体としての人間に触れることは出来ません。しかし、現在はエンジニア的な仕事でも生体とのインタラクションを意識しなければならない時代だと思います。人間とどのようなインターフェイスで人間と接するのかをエンジニアは常に考えねばならない時代です。ここで、生体として人間を扱える医者の特権が大きく活かされる事になると思います。また、逆に人間の研究、特に脳科学を研究する際にエンジニア的発想は今後とても必要とされると思います。brain-machineインターフェイスは今後の脳機能−精神疾患を研究する際に間違いなく必須の技術になると思います。そういったインターフェイスの開発をエンジニア的思考のある医師が行っていくことはとても重要だと思います。

 

最後に、僕の父の話です。

父は科学者になるのが夢で、医学部入学も可能な学業成績だったにも関わらず、理学部に入学しました。祖父は医者になってもらいたかったようで、随分がっかりしていたそうです。大学を卒業する段になって、「医者になりたいからもう一度受験したい」と言い出し、祖父に叱られて結局研究者の道を歩みました。父は研究者としてはまずまずの経歴を歩みましたが、今でも医者になればよかったかもと愚痴ることがあります。

 

僕もわりとアカデミック志向だったのに開業することになりました。増田が今後良い道を歩きますように。

 

追記:開業するクリニックのサイトが完成しました

cyciatrist.hatenablog.com